2011年12月18日日曜日

コラムVol.178 【今年を振り返る】

12月になりましたね。
テレビでも街角でも、クリスマスに向けてにぎやかにふるまってきましたね。
クリスマスが終われば、年末に向けての準備で慌ただしい日々が続き、そのまま新年を迎えることになります。
状況によっては、休まる日がない方もいらっしゃるかもしれません。
また、12月は、一年を振り返る、という月でもあります。

毎年同じことを世間では、やっていますが、
「皆さん、今年はどんな年でしたでしょうか。」

この一年は、早かったでしょうか。長かったでしょうか。
また、いろいろと考えさせられる年になったのでしょうか。

想いはそれぞれ抱えていることでしょう。


振り返る作業は、自分を見つめ直すという意味で大変重要になります。
良いことや悪いことなど、ひっくるめて自己評価してみませんか。
来年へ向けてどのように行うべきか、道が見えてくることもありますから。

自分自身を整理するためには、自分なりの今年のトップニュース10を作ってみませんか。
ささいなことでも、それは思い出として残るし、反省として使える材料になるかもしれません。

来年もみんなが笑顔でハッピーな日々を過ごせることを祈っております。
今年のmiviのコラムは今日でおしまいです。
また、来年お会いしましょう。
良いお年をお迎え下さい。

//mivi//

2011年12月11日日曜日

コラムVol.177

ーとある相談室よりー

12月。1年も終わりに近づき、何かしら気ぜわしく感じるのは私だけでしょうか。

計画したのはいいけれど、中途半端におわっている部屋の整理、衣類の洗濯、

読もうと買った本が何冊も部屋の隅に積んである・・・

時間の管理のしかた、こころの持ち方、自分に対する甘えがしわ寄せの原因ではと

自分でわかっているつもりです。

いや、私は完璧にこなしているという方もいらっしゃるでしょうね。羨ましい限りです。

私ごとはさておき、気になって仕方ないのは、毎日接している子どもたちのこと。



あの子は今日は時間通りに学校へ来ているかな。(毎日遅刻の子です)

朝ごはんはきちんと食べているだろうか。(足が腕ぐらいに細い子です)

忘れ物や宿題をやっているか。(隣の子に教科書を見せてもらっています)

1週間ずっと爪が伸びていて、先が割れてきた子。

朝からあくびが何回も出ている子。

本当に注意深く見ていると様々な様子が伺えます。



小学校低学年は人生の基礎を作る大事な時期です。

昔から読み、書き、そろばん。稽古事は6歳からはじめると良いと言われていますが

そのころに良い習慣を身に着けると、一生の宝になります。


良い習慣は自然と身につくものでしょうか?

いいえ、それには親の力が必要です。


何もかも親がすることは、正しいですか?

いいえ、違いますよね。

では、どういうことが良い手助けでしょうか?


それは良いお手本となるような生活を親がしていることです。

ものの善悪をきちんと分かっていることです。

そして、子どもを慈しみ大事に思う心、

子の話を真剣に聴く、また親の気持ちも伝える時間を、

短時間でもいいから共有することが大切ではないかと

このごろ相談室で思うことです。

(なぜって、言葉がけひとつで子どもの目がキラキラしているんですから!!)



クリスマスが近づいてきました。

プレゼントを楽しみにしている子どもたち。

今年はどのようなプレゼントでしょう。

色んな出来事があった年です。

有意義なイベントになることを祈っています。


//motto-to//

2011年11月26日土曜日

コラムVol.176 【物事に対する取り組み方】

今回は少し真面目な内容になります。
先日私の上司の上司と食事した際に言われたことで
かなり心の奥底に届いたメッセージがありましたので
この場を借りて皆さんとも共有したいと思います。

「もっと暴れろ!遠慮するな!言われたことだけをやって
満足しないこと」

まず、最初に私は言われたことだけをやって満足するタイプ
ではありませんので、そこのところは事前に伝えておきますね。

常に仕事(仕事以外のプライベートでも同じですが)をする
際に上から言われたり、お客様に言われたことだけをやる
ことは、おそらく新入社員や入社数年目くらいまででしょう。
後は、本質を理解しないで仕事をしている人。言われたことを
こなすことで、仕事を完全に全うしていると思っている人は
まだまだ多いし、私も周りで多く見かける機会があります。

しかし、果たして言われたことだけが、本当に正しいのか?
お客様や上司に言われたことはある程度正しいかもしれません。
しかし、もう少しこうしないと、更に利益を得られるのに
チャンスを逃していたり、このままやってしまうとリスクが
高まる事だって十分にありえますよね。其の時に、言われた
ままやっていれば、評価もそこそこ良くなるからといって、
何も言わないのが本当の意味で「成功」といえるでしょうか。
会社としても、お客様にとっても、そして自分にとっても
本当の意味での成功ではないと思います。

また、言われたことに対する行動より、自分自身で能動的に
アクションをおこす方がよりモチベーションも高くなります。
仕事だって言われっぱなしだと楽しくないですからね。

Aやって、Bやって、Cやって、、、と指示ばかりもらって
其の通りにこなすのは、定常業務を目的に雇用された人や、
入社年度の浅い若手社員に任せるべきではないでしょうか。
(勿論、押し付けるべきではなく、若手社員にも色々と
 問題意識を持って取り組んでもらう必要は十二分に必要ですが)

私達(中堅以降)は常に問題意識をもって、全力でタックル
していく気持ちで進まないといけません。

繰り返しになりますが、「物事に対する取り組み方」は
人に言われたことをそのまま受け入れることもできますが
自分自身でよく考え、本質の部分も理解した上で取り組む
ことで、危機(問題)意識が高まり、モチベーションが高まり、
能動的になって、より良い結果が導き出せると考えます。

コミュニケーションの壁を持つ方も多いと思います。
私自身もずっとコミュニケーションの壁はありました。
しかし、その壁って、実は「物事に対する取り組み方」を
少し変えてみることで壁の厚みや高さもまた変化するもの
ではないかなとようやくですが思えるようになってきました。

/hero/

2011年11月7日月曜日

コラムVol.175 【チャレンジする心】

チャレンジしたくなる心を持つことはとても素晴らしいこと。
実際にチャレンジするには、年齢がネックになるという声も少なくない。
それは、若い時にチャレンジをすれば、失敗しても融通がきくからであろうか。

しかし、若い時にチャレンジしたくなるような環境になかった時・・・
それは、もう、手遅れということになるのだろうか。

いや、そんなことはない。

何かを始めるのに、年齢は関係ないのではないだろうか。

ただ、状況によっては難しい場合もある。

人間、基本的に、やりたいと思ったときこそ、始められるものではないかと。
そう、何歳からでも始められるということになる。

手遅れなどで、自分に言い訳を作らず、まずはやってみよう。
やってみたい、その気持ちを大切にしてあげよう。

たとえ、失敗したとしても、やった分だけの優越感を味わったり、
大きな経験を積み重ねたり、自分に自信をつけたりすることができるのだから。

仮にやったことによって、後悔したと思う方も、
やらないで後悔するよりは、断然良いと思いませんか。

さぁ、あなたも、チャレンジするこころを持ったら、
年齢を理由につけず、何事もやってみよう。
人生は、一度きりなのだから。

//mivi//

2011年10月24日月曜日

コラムVol.174 【ー友だちー】

私は1年ぶりに高校の友に久しぶりメールしてみた。

すると不思議なことに

以前職場で一緒だった人からもメールをもらった。

何気ない文がそこにはあった。

 “こんにちは、ご無沙汰です。お元気にしていますか?

よい天気になりましたね。またいつかお茶しましょうね。

風邪ひかないようお互い気をつけましょうね。” 

久しぶりにメールを頂き、嬉しくなってついご自宅にゆっくり電話するからと

返事をしたら、自宅の電話が調子が悪いから・・とメールだけで終わった。

あとで分かったことだが、ご主人があと余命数ヶ月ということで、自宅療養中と。

彼女は勤め傍ら介護をしているということだった。



高校の友も私は気になりつつも連絡を取っていなかった。

彼女も夫の母親を介護しつつ、自営の手助けをしていた。

認知症が年々重くなり、彼女にひどい言葉を投げつけてくるとのこと。

救いは夫が協力して一緒に介護をしてくれていたことだ。

その母親もいま特養に入り、時間が少し持てるようになったとの

ことだった。

 
いまさらながら一人ひとりそれぞれの人生、ドラマが繰り広げられている。 

それが日常という水面上には見えないでいるのだ。


かく言う私もつい3年前は九州で、まさか関東に住み、次男である夫の母親を

看取るとは・・・。


ーもし、あのときー

夫の母親との同居を決断しなっかったら・・多分今頃後悔していたにちがいない。
 
ちょっとさかのぼって、今の夫と結婚しなくて別の人と結婚していれば、違った

人生。でも今の子どもたちとはめぐり逢えていないのである。


そうおもうと、人は知らずしていくつもの分かれ道を選んで進んでいっているんじゃない

か。道に迷って立ち止まったり、相談したり・・。でも最後には自分で答えを出して

いるんじゃないかと。



余談だが、近日中に友だちと会うようにしている。

お互いの健康を確認しあいながら、友好を温めたいと思っている。
  

//motto-to//

2011年10月14日金曜日

コラムVol.173【悩み、苦しみ、悲しみを抱えながら生きている全ての人へ】

2011年3月11日の大震災後、
台風や大雨などでも
大変な被害がありました。

それ以外にも、
生きることがつらく、
厳しい状況におかれている人、
普通に生活を送れない状態にある人が、
気持ちに余裕を持つ事は、
なかなか出来ません。

そういう状態にある人

あらゆる悲しみや苦しみで
うずくまり立ち上がれずにいる状態

それでも立ち上がり
一歩ずつ
一歩ずつ
前に進んで行く

希望が見出だせなくても
生きていかなければならない

世の中に存在している事実、
生きている事実。

想いを込めて…

~悩み、苦しみ、悲しみを抱えながら生きている全ての人へ~

よく ここまで 生きていてくれたね

ありがとう

生きていてくれて ありがとう

生きているだけでも 苦しい毎日を
何とか生きて
生きて
生きて

今があるよね

今も
これからも

まだまだ どうなるか わからない

不安で どうしたら良いか
何をしたら良いか
わからなくなるね

自分が 生きている意味は 何だろう

何の為に 生きているんだろう

何で こんなに 苦しい思いをしながら
生きなければならないんだろう

それは…

自分が 答えを見つけるまで
続いていく 問いなのだろう

暗い闇の中を 歩いているみたいに
先が見えなくて 不安になるけれど

ひとりじゃない
独りじゃない

孤独を感じて
悲しくなっても

誰かがいるよ

あなたは
決して 独りじゃないよ

あなたを 必要としている人が いるよ

あなたの 命の 灯火(ともしび)が
たとえ 小さくなったとしても
輝いているよ

生きていてください

どうか生きていてください

希望は きっと あるから

希望に
向かって

     †Blue Luna†

2011年10月12日水曜日

コラムVol.172 【友達】

小さい頃に裏の山や野原、田んぼで一緒に鬼ごっこをしたり、ちゃんばらごっこやままごとをした友達。
小学校まで手をつないで通って、帰りに家にきてカードゲームをした友達。
部活動で一緒に汗と涙を流したり、サークルでわいわいがやがややった友達。
会社の仕事が終わって、一緒に呑みに行って、上司のグチを言ったり、自慢を言い合う友達(同僚)。

成長と共に友達も変わっていくと思います。
引っ越しで離ればなれになると、連絡も疎通になってしまう人もいれば、まめに連絡を取り合って、長い間友達
関係を維持している方もいます。

確かに環境が変われば、自分の中での友達への関わり方も、友達を選ぶ基準もすっかりかわってしまう可能性も
あります。環境も一つのきっかけとしては欠かせない要素になります。環境以外にも、必要以上に友達を作ろう
としないで、限られた人と交友関係を持つ性格をもつ人もいます。

私がここで言いたいのは、広い交友関係を持っているからといって良いという訳ではないのです。

本当に心からお互いに尊敬し合うことができて、本気でぶつかる事が出来る友達は沢山いらないと思うし、作る
ことは出来ないと思います。どんなに頑張っても10人も作ることは出来ないでしょう。

そのようなかけがえのない友達を親友、心の友と表現する方もいますが、そのような関係を持つためには、自分
自身を相手に心のうちをさらけ出す必要があると考えています。

でも、心をさらけ出すなんて、怖い。と思う方も意外と沢山います。私もかつてそうだったのだから。

しかし、心をさらけ出すことは逆に言えば、相手も自分にさらけ出してくれる可能性があり、お互いにさらけ出
すことが出来るようになれば、その関係がとても心地よいと感じるようになり、一種の安堵感を得ることが出来
ます。

いろいろな紆余曲折を経て、最終的にお互いに信頼できる親友が出来れば、人生の楽しみがまた一つ増えるかも
しれません。

どうか、友達を作ることをおそれずに、自然体で接してみてください。

あなたが自分で気づかない魅力を誰かが気づけば、いつの間にか友達になっていた、というようなことは良くあ
る話なのです。

あなたの人生を豊かにできるかどうかは、家族はもちろんですが、友達の存在も欠かせないのです。

2011年9月26日月曜日

コラムVol.171 【今を生きる人へ】

これは、あるドラマの中で印象に残ったセリフです。

正直に生きないと、いつまでも自分に問い詰めることになる。
「もし、あのとき」


巷では、人は、後悔だらけの人生を過ごすといわれています。
もちろん、幸せだらけの人生を過ごすこともありますが、
なぜか、記憶に強烈に残るのは
幸せより悔いの方だったりしませんか。


人は、いくつもある選択肢から自分にとって最適な方法をとったつもりでも、
納得いかない結果、自分に嘘をついたままや犠牲などが生じると、
必ず、葛藤が起こります。
それが、
「もし、あのとき・・・」
そう、他の選択をしたときの可能性を確かめたくなることがあるのではないでしょうか。

どんな過程がありましても、自分が自分らしく生きるためには、
きちんと自問自答しながら正直に生きることが最短の距離ではないでしょうか。

ただし、人生に不正解はありません。
たとえ、選んだ道が誤っていたとしても、
その道を選ぶまでの過程を、自分にとっての最良な方法で決定した上、それらを受け入れたからこそ、
その道があるのだと思います。
それぞれの道には必ず、自分の好ましい方向へ導ける見えないレールがあります。
時には、進むべき道または進んだ道の中には、何かを責めたり何かを犠牲にしたり
することもあるかもしれません。

あなたは、
あのときのことを今でも、自分に問い詰めてしまっていることはありませんか。
もちろん、ある方やない方、わからない方など、さまざまな方がいらっしゃると思います。

ですから、「もし、あのとき」をなるべく駆使しないよう、
そうならないよう、今を大事にして、自分が本当に求めていることは何なのか、
飾りではない、正直なありのままの自分でいられるよう、
こころの準備や整理をし始めてみてはいかがでしょうか。
その今でさえも、1秒後には過去になってしまいますから。

//mivi//

2011年9月22日木曜日

コラムVol.170 【古希のお祝い】

なかなか取れていなかった夏季休暇をようやく
先週取得できると思っていたら、業務の都合で
延期となり、やっと取れ始めたのが幸い(?)
にも先週金曜からでした。つまり、連休と重なって
取得することができているので、今も長い休暇中です。
(とはいえ、自宅にいながら仕事はしていますが…)

仕事のことはいいとして、先週末、父の古希のお祝いを
しました。恥ずかしながら古希(こき)ということを知らなかった
私ですが、一言でいうと「70歳を祝う」ということですね。

3兄弟とその家族皆が(滅多に会えない中)ようやく
久しぶりに会えたわけですが、やっぱり家族っていいです
よね。特にコミュニケーションをとらなくても何となく
通じ合っているところがいいです。物事を論理的に伝える
だとか、研修で学んで業務でも活かすよう色々と実行しては
いますが、あのように神経を使って会話する必要が家族とは
一切必要がありません。そんな家族のようなコミュニケーションが
とれるっていいなぁとあらためて感じました。

皆さんはそのようなコミュニケーションがとれていますか?
何か初心に戻ったというか、原点に戻ったような気がちょっとして、
いつも無理していた自分を改めて見直すことができた感じが
しました。

「家族愛」って、いいですよねー。
久しく帰省されていない方も、時間をとってちょっと顔を
だしてみませんか?もしくは、電話で「元気?」の一言だけでも
いいと思います。これは、家族だけでなく、久しく会話していない
友人にも同じことが言えます。メールではなく、電話で会話したり、
ハガキ1枚送ってみてはいかがでしょうか?相手も嬉しいでしょうが
連絡を取って相手と会話した自分自身もスッキリした気分になる
ことでしょう。

/hero

2011年9月12日月曜日

コラムVol.169 【コミュニケーションの根っこには食べ物がある】

小学校が夏休みとなり、私も同時に長期休暇となりました。
日ごろ疎かになっている家事に集中と計画していたのが、
つい気が緩んで、怠け癖はおいそれとは直らないようです。


やれ娘のつわりで、おさんどんに静岡へ、毎日仕事で貢献出来なかった
市通訳派遣の予定を入れたりと、何かと忙しい日々。
8月は半ばより車で九州福岡へ帰る計画を息子と計画し、9月2日に
戻ってくるというハードスケジュール。それが今頃疲れが出始め、
歳を感じています。


前置きが長くなりました。実は表題はその九州の大分で聞いた講演での
内容の一部分です。前回も“食”に関心があると言っていた私。
彼がこのことを言うや、グッと私は共感したのです。


誰が、どのように、どんな場所で、どんなものを食べるか?
差別の根幹には食物も大きな要素になっている。
例えばイスラム教、ヒンドゥー教、大乗仏教、小乗仏教で食する肉が違う。
文明や宗教によって異なり・・・と聴くにつけ、おおいにうなづけました。
 
現代はグローバル化が進み、日本においても世界の様々な食文化が混じっています。
とても恵まれた環境にあるといっても過言ではありません。
そのような状況下で家庭の食事(食卓)はどうなっているでしょうか?
コミュニケーションの最小単位と言える家庭が揺らぐとどうなるか?


最近小学校の昇降口で泣いている低学年の子供。日替わりメニューのように
体操着、上履き、給食エプロンなど忘れてくる子が恥ずかしくて教室へ入れない。
しっかり家でお母さんやお父さんと話が出来ていない、また親も子が学校でどんな
様子なのか気にならない。たぶん親も小さい時に、そういう気遣いをされなかった
のかもしれません。
ご飯を食べるその時が言葉かけ(ふれあい)の大事なひと時であって欲しい。



「母は自分にしっかり愛情を注いでくれた。今までこの歳になるまで大病を
しなかったのは、母が美味しい食事や自然の営みを教えてくれたおかげ」と
姜尚中(カンサンジュン)氏。講演を聴いてますますファンになった私です。

//motto-to//

2011年9月8日木曜日

コラムVol.168  【コミュニケーションの難しさ】 

健聴者の私が最近感じるのはコミュニケーションの難しさです。
それは手話のコミュニケーションではなく、海外と一緒に仕事を
している相手とのコミュニケーション(電話とメール)が大変
厳しく意思疎通がなかなか図れないことです。
自分でいうのも何ですが、海外在住歴通算14年にもなるので
英語でのコミュニケーションや国際感覚は通常の方と比べると
長けていると思っています。しかし、今回のビジネス案件は、
日本、ドイツ、イギリス、中国、そしてアメリカと4カ国を
同時に相手しなくてはなりません。時差だけでなく、考え方の
違いもあり、、、数週間前に1週間かけて電話会議で説明した
はずの内容が完全には理解されておらず、あらためて電話会議で
説明する羽目になったりして、開発スケジュールに遅延が起きそうな
勢いでした。

そこで感じたのは、手話でも電話やメールでも同じだと思いますが、
「伝わったと思う」で終わらせないことです。必ず、合意内容だったり
説明した内容を改めて纏めて、理解してもらえたはずの内容を再度
確認することまで徹底しないと、誤解というものは必ず発生します。
そして、できれば、再確認は、文化の差や時差に左右されないよう
メールなど、文字を使用することです。そうすることで、誤解は
最小限に抑えられます。

振り返って考えてみると、今回の私の場合も、「伝わったと思う」と
ある意味一方的に決め付けていたわけであり、それを再確認するこを
怠っていたとも考えられます。相手方にも落ち度はきっとあるかも
しれませんが、まずは、自分自身を振り返り、意思疎通が明確になる
ようにしていくことが重要だということを改めて認識しました。

是非、皆さんもご参考まで。

/hero

2011年8月12日金曜日

コラムVol.167  【年代ごとの本】 

最近、「○代にしておきたいこと20の話」など、
20代、30代、40代など年代ごとにおすすめする本が
本屋で多くみかけるようになってきたと思いませんか。

年代を題名にすれば、自分に関係する本だという心理的な作戦も
含まれていると思います。年代にすれば、幅広い年齢層をターゲットできるし、
本を手に取る人が多くなるという心理的戦略な面もあると思います。

同年代だからこそ、わかることや今、気をつけたいことなどが
書かれてあり、興味深く読めてしまうものだと思います。


私も、自分の年代にあてはまる本を取らずにはいられません。
そこには、何より、共感できる部分が多く書かれていることがあり、
参考として読めてしまうからです。

20代には20代、30代には30代、40代には40代、50代には50代、
60代には60代なりの生き方があります。


人は、それぞれ役割を持って演じています。

例えば、「20代で既婚者の女性の場合」、
ある時は子どもで、ある時は母親で、ある時は妻で、
ある時は関係団体の会長で、ある時はおばちゃんで、
ある時は患者で、ある時は社長夫人で、ある時は市民で、
ある時は社会人学生・・・
など、一人の人が時と関係性によって、いくつもの役割を
持って演じています。

役割に合った生き方も年代によって異なってきます。
その生き方を社会を通して教えてくれることもあれば、
本を通して教えてくれることもあります。
一参考として、今回は本を通して、自らの生き方を考えてみては
どうだろうかということです。

今、お盆の真っただ中であり、
帰省時の空いた時間に年代ごとの本を読んでみてはいかがでしょうか。
年代ごとの本に限らず、気持ちに寄り添ったエッセイなども読んでみてはいかがでしょうか。
今までにない気づきを得ることが出来るかもしれません。



//mivi//

2011年8月6日土曜日

コラムVol.166  【コミュニケーション能力を身につけていくということ】 

ドラゴンクエストや、ファイナルファンタジーといったロールプレイング
ゲームをはじめ、いろいろなゲームが衰えを見せずに流行っている。

それにはまり、のめり込むようにゲームをする子どもたちも爆発的に増加
してきていることは、レストランや喫茶店に座っている子どもたちを見れ
ば一目瞭然だ。しかも、電車の中でも道路と至るところで、子どもたちは
手にゲーム機を持って、手や頭をせわしなく動かしている。

あるレストランで食事をしていたときの話だが、隣のテーブルに親子が座
っていたが、子どもは店の中に入ってからも、ゲーム機の画面から目を離
さない。

母親は何を食べるか聞いても子どもは画面から目を離さず、「○○ちょう
だい」とだけ言って、ゲームに再び熱中し始めた。

母親はというと、そのまま携帯を取り出して、いろいろやりはじめたでは
ないか。こうした状況がご飯が来るまでの間ずっと続いていた。食べ終わ
った後も会話がまったくない状態が続いていた。

不思議なほどに、親子の会話がまったくと言っていいほどないのだ。しか
もそれが一組だけではない。多いのだ。いったいなぜだろうか。

・子どもにゲームをやらせておけば、自分のやりたいことが出来る。
・ゲームをやっている子どもが楽しそうで、そのままにしときたい。
・子どもを叱ることが怖い、難しい。

といったような理由も考えられるだろうけど、親子ではやっぱり目と目を合
わせるコミュニケーションが必要だ。

それが出来なくなってしまうと、他人と意見をぶつけたり、分かち合ったり
する能力が育たなくなり、社会性を身につける事が難しくなる。

その他にも心配することがいくつか出てくる。バーチャル世界と現実世界と
の区別が付きにくくなる可能性が出るのだ。

そのようなゲームがなかったころの子どもたちはというと、そとに出かけ自
然とふれあったり、身体と身体をぶつけ合ったり、汗や泥まみれになって・
・・といかにも健康的な遊びをやっていたことが多い。

かくいう私も弟や近所の子どもたちと一緒に小川にいってザリガニをとった
り、網をもって蝉やカブトムシをとりにいったり、縄跳びで遊んだり、かく
れんぼや鬼ごっこをやったものだ。

生身の人間同士の遊びなので、当然ケンカもあった。

一緒に遊んでいた子どもか、近くで見ていた大人が仲裁に入る。最後はお互
いに謝る。そして握手をして仲直りする。この経験は社会にでてからもかな
りといって良いほど役に立つものだと信じている。これが真のコミュニケー
ションではないか、とさえ思う。

そういう環境がない、とか、時間が足りないという方もいらっしゃるだろう。
でもどのようなケースであれ、親の都合でしかない。子どもたちは親の都合
の中で生きていくようなものなのだから。

なかなかコミュニケーションが取れない状態であっても、出来る限りのコミ
ュニケーションをとろうと努力する親の背中を子どもはしっかり見て分かっ
ているし、伝わっているはずだ。

「子どもだから、どうせ分からないだろう」という目論見は捨て、一人の人
間として扱うように話をしようとすれば、それに応じてくれるはずだ。

私個人として、これまでに何人もの子どもたちとカウンセリングなどで接
してきたが、大人よりも感受性が良く、洞察力や観察力においては大人より
も優れており、甘く見ては失敗するだろう。

子どもの潜在能力を侮るなかれ。

ash

2011年7月31日日曜日

コラムVol.165 【食べるから生きていける】


先日、小学校での食育に関しての取り組みをテレビで見ました。

実際に、魚屋さんがクラスに来て、魚の説明をします。
そして、目の前で魚をさばいて料理し、お昼に給食で食べます。

すると、魚が苦手な子も「美味しい」と言って食べたりするそうです。

また、実際に畑で野菜を育てたり、田んぼで稲を育てたりして、
成長したら収穫して食べる、という取り組みも行われているようです。

実際に見たり体験したりする事で、
作っている人の苦労を知ったり、
作る過程を学んだり、と
子ども達が得るものは、きっと沢山あるのでしょう。

しかし、物が豊かなこの国で、食べるものがあることの“ありがたみ”は
果たして、どこまで伝わっているのでしょうか。

食べるものを“いただく”事で、生きていける、
そういう命の大切さについて考える事が出来れば、
食べることに関して、もっと違う意識が持てるようになり、
“もったいない”と思ったり、
大事に食べる様になるのではないでしょうか。

ただ、栄養の為に必要だから、と説明したところで、
食べる事や、食べ物の大切さは、
子ども達の心には響かないと思います。

ここに、先生が葛藤しながらも取り組んだ例を紹介します。

1990年、大阪の豊能町立東能勢小学校の6年生のクラスで、
当時新任だった黒田恭史さんが
“学校で豚を育て、大きくなったら食べよう”と提案し、
ブタにPちゃん、と名前をつけて、実際に皆で育て始めます。

“今の授業は、答えのある授業ばかりしている。
筋書きにない授業で、食とは何かを考えさせたい”

しかし、この話が報道されると「残酷だ。」と批判が殺到し、賛否両論を呼びます。

この話は2008年に“ブタがいた教室”として映画化されました。

映画に出演した子ども達も、実際に3ヶ月間、豚を育てました。

最後にPちゃんの処遇を決めるクラスでの話し合いのシーン。

台本は無く、子ども達一人一人が考えた意見を、自由に言うようにしたそうです。

食べる派、食べない派に二分し、議論は白熱します。

子ども達は涙を浮かべながら、必死にブタをどうするか考えます。

映画のワンシーンでも、子ども達が命と真剣に向き合っている、
という臨場感がとても伝わってきます。

“Pちゃんを可愛がって育ててきたのだから、殺すのはかわいそう、
どうしても食べる事は出来ない、”という意見。

“かわいそうだけど、卒業と考えたらどうか。
ブタを出荷している人も可愛がって育てているのに、
私達が食べるために出荷しなきゃならないのは、ツライのでは?”という意見。

黒田先生は結論をどうするか悩みます。

そして…、
先生は、Pちゃんを食肉工場に送る事に決めました。

“食べる為に育てる”という原点に戻って、結論を下したそうです。

その結論を下した後も、それで本当に良かったのか、
先生はとても悩んだそうです。

卒業した生徒と成人式で再会した時に、
「あの授業のおかげで、自分は命の大切さを学ぶ事が出来た。」と生徒から言われたそうです。

果たして、この授業が良かったのか、悪かったのか、
…正解はありません。

この学校は山の中にあり、自然に囲まれた環境で育った子ども達です。

この方法で、都会の学校の子ども達にも
同じように感じさせる事が出来るか、というと、
また違ってくるのかもしれません。

ただ、私達大人も子どもも関係なく、
食べるために殺されている命があること、

命をいただいているのだから、
ありがたいと感じて生きなくてはならないこと、

などなど、もっと感じて食べなくてはいけないなぁ、と考えさせられました。

皆さんは、どのように感じられたでしょうか?

夏になり、暑くなると食欲も無くなりがちですし、
悩み事があると、食べられなかったりしますが、

食べ物があることのありがたさ、
命をいただいていることのありがたさを噛み締めながら、

しっかり食べて、
心にも体にも栄養を。

生きる為の力をつけていきたいです。

心と体は
つながっていますものね。

†Blue Luna†

2011年7月21日木曜日

コラムVol.164 

今回女子ワールドカップでの「なでしこジャパン」の優勝は、日本の子供たちに大きな夢を与え、又大人たちにとっても「あきらめない」という言葉をより一層深く心に刻んだ嬉しい出来事でした。被災地の皆さんも口を揃えて勇気をもらったと言っていましたね。


私は常日頃「食」に対して関心を持っていることは前回も言いました。取材陣が彼女たちに勝因のインタビューをしていますが、食事に関することがあったかどうか・・・。

小さい時から彼女たちを支え鍛えてきたのは、その体力そのものです。多分好き嫌いはあるにしても、その量や質は豊富なものではなかったかと想像しています。

私は現在、相談員、支援員という立場で小学1年生と給食を共にしていますが、まんべんなく適量を食べている子の少なさに驚いています。牛乳180mlが飲めない子、野菜が苦手でほとんど残す子、嫌いなものをはじいて、好きなものだけを食べるのです。また反対に、お代わり出来る子のたくましさ、元気さも目の当たりにしています。担任の先生の話では、全部食べきるということに重点を置き、段々と時間内に食べられる自信をつける目的があるとのこと。それも確かに大事。しかしこの子供たちが果して家で十分に野菜等食べているかは疑問です。


ここで小学1年生(6~7才)女子一日の目安量を紹介します。
牛乳(乳製品)305グラム、卵50グラム、肉魚100グラム、豆(大豆製品)60グラム、青菜40グラム、芋50グラム、その他の野菜220グラム、果物150グラム、穀類170グラム、油脂15グラム、砂糖15グラムです。
( 2010年摂取基準 より)

牛乳は約1本半、卵は約1個ぐらい。大人と比べると違いは穀類と野菜の量だけ! 大人穀類300グラム、青菜60グラム、その他の野菜290グラム。
活動レベルにより差は多少ありますがほぼ同じです。

充分な栄養(愛情)が人を育て、心を育てるということに、間違いはありません。是非この次のインタビューでは、彼女たちの普段の食事を聞きたいものですね~(笑)

//motto-to//

2011年7月17日日曜日

コラムVol.163 【二人っきりのときの会話】

あなたは、二人だけのとき、気まずく感じることがありますか。

特に親しくない人との二人っきりのシチュエーションに、
「何か話さないと」と話題探しをしてしまうことはありませんか。


もし、その場面が全くの赤の他人同士ならば、緊張感が募る
ことはないでしょう。
しかし、少し知っている、そう、顔見知りの二人ならばシチュエーションは、
また変わってきます。


誰でも大勢の人の前で意見を述べたり、権威ある人や
見知らぬ人と話をする時は、ある程度、緊張してしまいます。

今回は、昔からの知人や親しい友人の間柄ではなく、
表面的な付き合い(例:会社の上司、先輩、後輩、友人の友人など)の
場合と想定してください。

突然、二人だけの状況に陥った時、
あなたの思考はどのように働きますか。

・自分のことに没頭する(寝る、携帯やスケジュール帳の確認など)
・周りの景色を見る
・ネタや話題探しをする
・どうやって相手から離そうかなどの去る口実を考える
・相手の共通性を考える
・自分の事をひたすら話す
・相手に疑問形で質問を振る

いろいろな項目があげられます。
二人の時においては、ありのままの自分ではいられないのでしょうか。

相手との関係上の問題、環境の問題、生い立ちの問題、性格の問題、
波長の問題、学力・知識の問題、雰囲気など、
さまざまな要素が複雑に絡んできて、初めて不安やいらだち、焦り、
緊張を起こすものだと考えられます。

二人のときに「気まずい」と感じる必要はないのではないでしょうか。
なぜなら、親しい関係ではないとお互いが感じているから。
こちらが気まずいと感じていると、それが相手に伝わってきて、
ますます、雰囲気が険悪なムードに変わってしまうこともあります。
しかし、頭の中でわかっているけど、いざ、実行となるとなかなか
難しいものです。

ところが、あまり親しくないからこそ、話せることや聞けることも
あるはずだと思います。
そこから、新しいつながりが生まれることもあります。

ある日、二人っきりになったとき、
自分の思考はどのような働きを起こしているのか、
自問自答して下さい。
今まで抱えていた相手のイメージが、話してみると実は違って
いたっていう新しい発見や気づきもあります。
そこから、関係性がうまれ、コミュニケーション能力が作られて
いくのではないでしょうか。

現在、草食系が増え、昔ほど根性や情熱を感じられなくなってきた今の時代に、
いろいろとチャレンジし、最悪な状況においても、それぞれに応じた接し方を
自然に身につけることで自分を高めていけるのではないでしょうか。

人とかかわることで、いろいろな経験が学習として蓄え、人として成長ができる。

つながりが人をつくる。
だから、人間って面白く感じるものなのではないでしょうか。

それでも、
「言うは易く行うは難し」
ですが、一人で悩まないで、自分なりの答えを知りたいのならば、
私たちとともに考えていきましょう。

//mivi//

2011年7月10日日曜日

コラムVol.162 【心を通じ合わせる方法】

巷には「心を通じ合わせる方法」の本などは沢山
見られますが、その中でも私が特にお勧めするのは
共通の目標などを持つことかもしれません。

実はこのコラムを書いている今、我が家の後ろでは
J1(サッカー)の試合が行われており、凄い
声援が家中に響いてきます。
ノイズキャンセリングヘッドホンをしていても、
音が聞こえなくても、勢いといいますか熱が伝わって
くる感じです。

このスポーツ観戦こそが心を通じ合わせる方法の
1つだと私は考えますが、自分が応援するチームを
仲間と一緒に熱くなって応援するわけですが、それは
隣にいる仲間も同じです。その熱い想いと声援が
同じ方向に向かって進んでいっているときこそが、
心が相乗して上手く通い合うわけです。

デートにせよ、接待にせよ、同僚や仲間との関係を
強化したい場合は、別にスポーツ観戦にこだわる
必要はありませんが、お互いが熱くなって同じ方向に
向かっていけるものであれば効果は似ていると思います。

一度、お互いの心が「通い合った」と双方が感じられれば
そこにはシッカリとした心と心の関係が築かれているはず。

是非、皆さんも心から築きあった仲間を一人でも多く
作ってくださいね。

/hero/

2011年7月8日金曜日

コラムVol.161 【キレる人たち】

最近、立て続けに、他の人がキレられてケンカ寸前になりそうな
シーンを目撃してしまいました。

車を走らせていて、突然目の前の車が止まり、誰かが凄い剣幕で
怒鳴りながら降りてきて、隣の車に向かって何かを叫んでいました。
隣の車は相手にしてはかなわんと思って、轟音を立てて逃げていき
ました。

他にも、自転車を走らせていて、狭いところを抜けようとしたところを
前の自転車が歩行者にぶつかってしまうところを目撃しました。
歩行者は男性だったのですが、やはり何かを凄い剣幕で叫んでいま
した。

このような光景をみなさんも一度は目撃したことはあると思います。


このようにキレる人間が最近増えてきているという社会問題としてテレビ
で取りあげられているのを見たのですが、小さい頃から親のコミュニケー
ションが少なかったり、家庭状態が良くなかったり、と原因を臨床心理士さん
がおっしゃっていました。注ぐ愛情が足りなかったのかもしれないと
話していました。

上にあげたのは、街中の話ですが、これからは自分の周りにで関わりのある
人の話として取り上げてみます。           

普段何ともないひとが何らかのタイミングでキレてしまったり、ストレスを
溜めやすく爆発してしまったりと、いろいろなパターンがあるので、対処法は
一概には言えないのです。

ですが、自分自身が怒りっぽいタイプだと分かっていれば、その原因を探って
みるのも一つの方法です。自分自身を知り行動することで、周りも理解して
くれるようになり、キレる要因が次第に減っていくかもしれません。

また、怒りっぽい人が近くにいる場合は、話を聴いてあげる事も一つの方法だと
思います。ただ単に話を聴くだけではなく、「心に寄り添っている」ことが、相
手に伝わるように話を聴いてあげてください。そうすることで、相手も自分に
気づきが得られやすくなるのかもしれません。

何もせずに放置するよりは、行動したほうが変化は必ずあるのだから、リスクを
おそれずにコミュニケーションを取ることにチャレンジしてみましょう。

/ash/

2011年7月3日日曜日

コラムVol.160 【心配り】

私は日本語が好きです。
日本人に生まれてよかったなぁ、と思う理由の一つが言葉です。

おおまかに同じ意味を表す言葉も、
微妙な表現の違いで、単語が変わってきます。

尊敬語、丁寧語、謙譲語、といった相手を敬う表現の仕方も
複雑で多種多様です。

難しいけど、美しい、
そう感じます。

こんなに言葉の表現が複雑で、多種多様になったのは、
やはり日本独特の文化が歴史的な背景にあったからだと思います。

相手のことを、思いやる気持ちを持って、
言葉を選び、どれだけ自分の心を伝えるか。

時には厳しい言葉も、相手を思うからこそ必要だと判断し、
伝えるけれども、そこも日本文化独特で、
敢えて遠まわしの言い方で伝えたりします。

それも、心遣いの一つだと私は思います。

震災後、まだ1ヶ月位の時だったと思います。
偶然テレビで、被災地で手紙を配り続ける郵便屋さんの姿を見ました。
地震や津波で建物や家が壊れ、住所の目印も無いような場所でも
その郵便屋さんは、はがきや手紙を配り続けているのです。

その人自身も被災者なのに、配り続ける。
その理由を、こうおっしゃっていました。

“葉書や手紙を書いた人たちの気持ちを届けたい。
 元気でいるのか、無事を確かめたい、心配している、 
 その気持ちを届けたい。元気付けたい。

 たとえ宛名の人に直接届けられなくても、
 その人の知っている人に渡せるかもしれない。

 どうか生きていて欲しい、そう想う気持ちを込めながら配っている”

涙を浮かべながら、懸命にお話されていました。

私はその時、働きながら偶然目にした映像でしたが
思わず見入ってしまい、心を打たれました。

その郵便屋さんが配達していたのは、
物だけではなく、
まさしく心を配っていたのです。

また、別の機会に見たテレビの映像で、
運送会社の社員が宅急便を届けるのを見たのですが、
“真心(まごころ)”を込めて届ける事を大切にしていました。

受け取った荷物を持った相手が転ばないように、気を配りながらも笑顔。
時には相手の話したい気持ちを受け止めて、長話につきあうなどの心配り。

とても感動しました。
日本人が古来から大切にしてきた心を配ることの大切さ。
改めて考えさせられました。

私も、さりげなく、心が配れる人になりたいなぁ、そう思っています。
そして、自分の子どもも、心が配れるような人に成長して欲しいなぁ、
そう願っています。

1人1人が、少しずつでも良いので、心遣いを意識して、
心を配っていけたら、もっと優しい世の中になるのになぁ、
そうなれたら良いのになぁ。

優しさを欲しがる人は多いけど、優しさをあげようとすることを
なかなかしないのはなぜだろう。

優しさ、ってきっと伝播する。
もっと自分にも周りの人にも優しくしなきゃなぁ。
簡単そうで結構難しい。

だからこそ、やってみませんか?
“こころ 配り”

†Blue Luna†

2011年6月20日月曜日

コラムVol.159 【体の休息、頭の休息、心の休息】

私の勤務先には勤続10年目になると1週間のお休みが貰える制度があります。普段からそれほど有給を消化していない私でしたが、この休暇は必須となっているため、取得せざるを得ません。ただ、ちょうど忙しい時期でタイミングが悪く、周りに少し迷惑をかけてしまいそうだったため、パソコンは当然のこと、携帯や内線電話まで持ち込んでのお休みでした。

さて、今回のお休みで一番期待していたのは、「体の休息」ではなく「頭の休息」と「心の休息」です。「体の休息」であればまだそんなに高齢でもないので週末に休めばまぁ何とか回復することができます。しかし、「頭」と「心」の休息は本当にリラックスできる場所に行ってゆっくりすることが重要なのです。言葉では、回復したといっても、実際には回復仕切れていないケースが結構あると思います。

今回、高知県の馬路村という村にいってきましたが、ここは四方深い山に囲まれていて、「緑」以外にあるのは、綺麗な川と名物の「柚子」くらいです。いや、だからこそ、「頭」も「心」も浄化でき、リフレッシュすることができたと思います。マイナスイオンたっぷりの豊かな自然が私を癒してくれるのが実感できました。東京に戻ってきたら、ちょっと空気が澄んでいなかったり、渋滞や人の混雑でウンザリしましたが、リフレッシュされたことによって、当面は持ちこたえることができそうです。

是非、皆さんにも定期的に自然しか無いようなところにいって都会と完全に離れて数日間過ごしてみてもらいたいです。きっと、あなたも心身共にリフレッシュされて、ストレスが緩和されてくること間違いありません。

また10年頑張るか~と思えるようになりました。

/hero/

2011年6月9日木曜日

コラムVol.158 【人間関係の不快指数と構築プロセスを考える】

梅雨は6月の代名詞となっており、かなり不快指数があがる時期でもあります。その「不快指数」について考えていたのですが、人間関係にも「不快指数」というものが存在するのでしょうか。

私は存在すると思います。

以前にも同じ事を書きましたが、まったく同じ人間は存在しません。
従って、価値観や考え方などは多種多様であると言えます。そんな中で人間関係を構築しようとすると不快指数がかなり上がる人と遭遇することは避けて通れない道でしょう。

「私はアイツが嫌いだ。だから、出来るだけ話さないようにしている」
「オレはヤツが苦手だ。いちいちオレの話の腰を折るからだ」
「あの人怖い・・・すぐにキレるもん」

といったような事は口に出さずとも、みなさん心で思ったことはあると思います。

よほど極端ではない限り、価値観や考え方が違うからといって切り捨てるというのも考えものかもしれません。というのは、自分にとって都合が悪い人というのは、逆に言えば、自分自身を成長させてくれる存在でもある可能性が高いからなのです。

嫌いだとか、苦手だとか、怖いとかの理由ですか?

それは、自分自身にとって都合が悪いからなのです。

自分自身の能力を否定したり過小評価しているのと同じです。


相手の想いや存在が自分の思惑や勝手な思いこみによって歪曲されているとしたら、それは非常にもったいないことです。

人間関係の正常な構築方法というのは、本気でぶつかってみることです。

そのためには、まず、自分の弱い部分を受け入れる必要がありますがね。

これが結構大変だったりします。特にプライドの高い人間や、変化をおそれるような人は・・。

2011年6月4日土曜日

コラムVol.157 【衣服の大切さ】

衣食住という言葉。
誰もが聞いたことがあると思います。

初めて聞いたのは、小学校の社会の授業だった気がします。
または家庭科だったかな?
忘れてしまいましたが、
人はその3つが無いと生きていけない、と教わった記憶があります。

着る物、食べ物、住む場所、
人にとって、生きるためには、どれも欠かせない大切なもの。

食べること、安心して暮らせる場所の重要さは当然ですが、
改めて衣服の大切さも、考えさせられました。

それはテレビで見た番組がきっかけでした。
アフリカの国で生活している女性、
妊婦さんや母親に、服への意見を聞いていくと、

着られれば何でも欲しい
赤ちゃんの身を守る為なら何でも欲しい
服の前にまず食べ物が欲しい
服を買うのは年に2回くらい

物が豊かな国とは違う服の意味。
それは、命を守る大切なもの。

その国では10人に1人の乳幼児が亡くなっているのだそうです。
マラリアにかからないように、蚊から身を守る為のもの。
昼間の暑さとは逆に夜の寒さから身を守る為のもの。

生きる為に必要な、大切な衣服。

ある有名な洋服の大手企業が行っている、
服のリサイクルを集めて、途上国や難民に渡している活動の様子がありました。

CSR(corporate social responsibility)
企業の社会的責任
というのだそうです。

ソーシャルビジネスという考え方で、決して支援だけを目的にしているわけではない。
現地の人たちの力を育み、共にビジネスパートナーとして成長していく。

共存共栄、という言葉が思い浮かびました。
そして、何だか、自分の日頃の支援の仕事についても考えさせられました。
支援というのは、ただ何かをしてあげるのが目的ではないし、
ましてや、それだけで、御本人の抱えている問題や課題を解決し、
環境が良くなることにはなりません。

相手の持っている力を尊重し、周りの資源を活用し、
いろいろな立場の人と協力しながら、連携していくことも
とても大切だなぁ、と日々実感しています。

話を服に戻しますが、
服の持っている力は、計り知れないなぁ、と思います。

着ている洋服の色や、形などで気持ちも変わったりしますよね。
スーツを着ると、びしっと気が引き締まるような気持ちになったり、
華やいだ明るい感じの服は、気持ちも晴れやかになったり、
下着も含めて、気持ちに影響する大切な役割を、服は果たしていますよね。

服って、とっても奥深いなぁ。
改めて、服の大切さに気付き、好きな服を着られることに感謝し、
明日からまたがんばろう!という気持ちになりました。

† Blue Luna †

2011年5月24日火曜日

コラムVol.156 【日々思うこと ~普通とは素晴らしいこと~】

あなたは、家族、友人などとの会話に何気なく
「普通」
と答えてしまうことはありませんか。


普通とは…
1.[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。
それがあたりまえであること。また、そのさま。
2.[副]たいてい。通常。一般に。
出典:小学館

普通・・・それは、日本人が非常に好む単語である。
日本文化の特徴である曖昧さに最もふさわしい言葉であろう。

誰もが、心の中で特別になりたい、他の人とは違う自分になりたいと願っているのではないだろうか。
そう思えるのは、自分が普通だからと感じているのかもしれない。

普通が悪いわけじゃない。普通が一番幸せなのである。
なんの刺激もない普通が一番良いのである。
当の本人だけが気づかないことがよくある話。
(※あくまでの私の考えであり、全ての人がそうあてはまるわけではないので、予めご了承願う。)

例えば、今日は、雨が降っていて、憂鬱になるけど、客観的に考えると、それは幸せなことかもしれない。
そう思う感情が働いているからであろう。
泣く日もあれば、笑う日もある。
それはあなたが生きている証。

そう、生きているだけでも十分幸せなことである。
あたりまえでいることが一番幸せなのである。


今日も、いつも通りの朝を迎えられる幸せに感謝♪

//mivi//
 

2011年5月21日土曜日

コラムVol.155 【環境変化は大きく心理的に作用する?】

私の現在の勤務地は汐留にあるとある高層ビルディングです。
そんな都会の中で仕事をしていると精神的にもちょっと
ワクワクしたりしてきますよね。でも、それも慣れてしまうと
ワクワク度が下がってきます。今日も集中力が欠けてきたので
思い切って1階まで降りて外にあるテーブルと椅子に座って
気分転換しながら仕事してみるとこれがまたいい刺激だった
ようで、ちょっとした環境変化を自分自身で作りながら仕事や
作業をしていくってことは、飽き防止にもなるのでお勧めです。
小さくはありますが心理的に自分自身を刺激するわけです。

でも、今日聞いた話では、ちょっと田舎の勤務地に今度異動に
なるとか・・・。プラスに捉えなくちゃいけないんですが、
汐留の雰囲気と大幅に違ってくるのがちょびっと不安・・・。
でも、環境変化で(良くも悪くも)刺激を与えると精神的にも
印象を残すことなので、記憶力が高まったり、生産性が高まったり
することが期待できそうです。

皆さんも小さな環境変化を作っていってみてはいかがでしょうか。
身近な所からいいと思います。トイレで集中力を高めてもいいし、
あえて階段を使って歩きながら集中力を高めたり、無心状態に
なるも良し。自分の中で普段と違った所で環境変化させてみると
ちょっとした面白い化学反応が起きるかもしれませんよ!?

/hero/

2011年5月3日火曜日

コラムVol.154 【ありがたい】

3月11日に起きました東日本大震災により被災をされた方々、そしてご家族、友人、知人の方々、心よりお見舞いを申し上げます。

この度の震災の影響で、電力の供給量が足りなくなる、との事で、輪番停電が各地で実施されました。

私の職場も住んでいる地域も、予告はあったものの、実施するには至りませんでしたが、
いつ停電しても大丈夫な様に準備していました。

そこで、いかに電気に頼る生活をしていたのだろう、と思い知りました。

まず、明かりがないと夜は部屋の中は真っ暗。
冷蔵庫も電子レンジもテレビもエアコンも洗濯機も使えなくなる。

炊飯器が使えないとお米も炊けない。
給湯器が使えないとお風呂も沸かせない。

水は大丈夫と思いきや、給水ポンプは電動だから水道水も出なくなる。
となると、トイレも使えない。

あぁ、こんなにも電気って私たちの生活に重要な役割を果たしてくれていたんだなぁ、
と改めて電気のありがたみを感じました。

と同時に、もしかして無駄に電気を使いすぎていないだろうか?
と自分自身の生活を振り返ってみたりしました。

最近では街もお店も公共施設も、節電のために取り組み、
エスカレーターを止め、照明も少なめにしています。

そういう光景を見て、子供も“節電”という言葉を覚えました。

電気だけではなく、ガスも水道も、食料も、生活用品も、みんな全て必要で、
それを自由に手に入れる事が出来て、使えているという事は、
なんてありがたい事なのでしょう。

被災地ではない地域で、一部の人が震災後に
スーパーで物を買い占めている様子がテレビに映し出されていましたが、
(何度も同じ映像を出していて、何だか煽っている様にも感じてしまいました…。)
困っている人の事を考えずに、自分さえ良ければ良い、みたいに
すぐに行動に表れる人もいるのだなぁ、
と人の欲、業というものを考えさせられました。

その一方で、支援の輪がどんどん広がっています。

私の職場でも、国からの要請を基に、地域の枠を越えて、施設の枠を越えて、
チームを組み、交代しながら、被災地での障害者施設等の支援にあたっています。

正直言って、自分の施設の人手も足りない状態なのに…と最初は思いましたが、
施設長自ら被災地に赴くトップバッターとなり、その姿勢と心意気に、
《困った時はお互い様》という、助け合いの精神の大切さを改めて感じました。

物の貴さも、
人の気持ちの尊さも、
なんてありがたいものなのでしょうか。

震災をきっかけに、いろいろな事を考えさせてもらっています。

今、何が出来るのか。
今、自分が出来ることを、
一つ一つでも、わずかでも、
心を込めて一生懸命やっていこう、
そう強く思っています。

明けない夜はない。
人は独りじゃない。
希望を持って、あきらめずに、一緒に進んでいきましょう。

†Blue Luna†

2011年4月7日木曜日

コラムVol.153 【日々思うこと ~行為の意味~】

平成23年3月11日に発生いたしました東北地方太平洋沖地震につきましては、
被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。


さて、震災後、ACジャパンのCMに以下の文が流れているのはご存知だろうか。

「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
  ―宮澤章二「行為の意味」より

初めて流れたときは、感銘を受けたような、心にじーんとくるものがあった。
さすがに、今は最初ほど、じーんとは来なくなった。
それは、きっと頻繁に流すからなのではないだろうか。
流し過ぎといっても過言ではない。

詩人・宮澤章二の作品「行為の意味」の一節の影響により、
現在Amazonの文学・評論ベストセラーランキングで1位にランクインしており、
急激に注目を集めているらしい。


この、一節から、私が思ったことを述べよう。

確かに、思いやりや心遣いの気持ちは誰でも持っているものである。

それを行動に移すことはなかなか簡単なようでとても難しいこと。

しかし、そのような気持ちは、思ってるだけではなく

「行為」になってこそ、初めて意味があるということに気づいてもらいたい。

そう、宮澤章二さんのメッセージにはそのような意味が込められているのではないだろうか。




今度、本を読んでみよう。さぁ、わたしも、あなたも。



日常生活において、「思いやり」や「心遣い」を起こさせるようなエピソードは、

ないようで、実はあふれているのかもしれない。


草食系になっている現代の社会に

まずは、「思いやり」や「心遣い」を抱くことから始めてみてはどうだろうか。

そこから、実践につなげるようなヒントを自分から得られるかもしれないし、

環境などによって起こさせ、そこから得られるかもしれない。



「思いやり」や「心遣い」も思うだけではなく、行動に移してこそ、

人は、成長できるものであると信じている。

たとえ、相手にとって、いらぬお世話だとしても、きっと自分にとっての経験値になるのだから。

突き放した相手も実は後悔しているのかもしれないし、もしかしたら、何か事情があるのかもしれない。

突き放しても、突き放されたとしても、人は、常に感謝する心を抱いてほしい。


//mivi//

コラムVol.152 【心根を深く】

この度の東北地方太平洋沖地震により被災された皆様、心よりお見舞い申し上げます。


桜が花をつけると、

春がきた喜びを感じると同時に、

何か胸を衝く切なさを感じます。

日本人にとって春は、

『出会いと別れ』が心に染みこんでいる季節なんでしょうね。

この間、私の小学校でも卒業式がありました。

初々しく凛々しく卒業証書を受け取る子ども達の姿。

重なる歌声。

涙が溢れて止まりませんでした。

辛かったことも悲しかったことも、

嬉しかったことも楽しかったことも、

全部心の栄養にして、

心の根を強く深く張って欲しいです。

根が枯れなければ、

例え失敗しても、くじけそうになっても

何度でも花を咲かせ、

何度でも実を結ぶ事ができると

私は信じています。

みなさんも3月、

送り送られ、さまざまな別れがあったでしょうか。

『さよなら』は悲しいけれど、

寂しいと思えるのは

幸せなことです。

それは、別れがたいほど大切な人と

出会えた証拠なんですから。

『さよなら』は悲しいけれど、

『さよなら』することは

大切なことです。

別れはまた、新しい出会いにつながっていくのですから。

今月から私は、7年間いた相談室を巣立ち、

新しい職場からのスタート!

心9割は不安ですが、

残り一割の勇気を振り絞って、

笑顔満開!新たな子ども達との出会いを迎えたいです。

みなさんも、みなさんにしか生きられない人生を

どうか力強く咲き誇らせてください!


yuchico

2011年3月27日日曜日

コラムVol.151 【「頑張って」という応援の言葉の使い分け】

この度の東北地方太平洋沖地震により被災された皆様には
心よりお見舞い申し上げます。

そんな中、日本全国だけでなく、世界中から温かい支援が
届き始めていることは皆様もご存知かと思います。
災害直後は、物理的な支援(救援物資など)が大変助かります。
2週間近く経った今でも救援物資によるサポートを必要と
している方が大勢います。

しかしもう少し経つと(いや、もう既に始まっていると思いますが)
今度は心のケアが必要となってきます。幾ら時間が経過しても、
状況は改善されず、どん底に落ちてしまった気分から立ち直る
こともできず、絶望感を感じるようになるとある専門家は
おっしゃっていました。そんな絶望感を感じている人に対して
同情や「頑張って」という慰めの言葉は全く通用しませんし、
逆効果になる場合だってあります。励ます側からすると、
「頑張って」という想いを伝えたいというのはよくわかりますが、
それは励ます側の想いであり、(完全に)被災者の立場になって
考えられた発言ではありません。

そんな中、九州で今回の被災者に対して救援物資を送るボランティアを
手伝っていた男性がテレビにでていました。おそらく彼は過去に被災を
経験しているのではと思いました。彼は被災者に向かって「頑張って
ください、なんて言いません。できる限り甘えてください。要望が
あれば何でも言ってください」というメッセージを送っていました。
「頑張ってね」といったところで、絶望感を感じている人には「頑張り
ようがない中、何を頑張れをいうの?」と思うのでしょう。
それであれば、できる限り今は救援にすがってほしい、という
心からのメッセージでした。

よく考えるとこの考え方は正しいのですが、私達は普段の生活でも
気軽に「頑張れ」という声援を送ることがあります。しかし、
あまり意識しないで発している私でしたが、時と場合によっては、
「頑張れ」という言葉は逆効果であるということをあらためて
理解しました。心理カウンセリングでは、当然のことなのかも
しれませんが、こうした現場で目の当たりすることでよく理解
することができました。

1日も早く被災者の生活が改善できるように祈っています。

/hero/

2011年3月22日火曜日

会員からのコラム 【定番のおかず】

この度の東北関東大震災は未曾有のものとなりました。被害地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

今回初めて投稿しています。

私の日々の暮らしで大切にしているのが“食”です。“たべる”という行為は生命ある全ての、その体を維持する本能ですよね。特に人間はその知恵と工夫で食材をうまく使いこなし、調理の基礎5味5法(塩、砂糖、醤油、酢、辛味)(生、煮る、焼く、蒸す、揚げる)を組み合わせて、さまざまな料理を作ることが出来るんですから、スゴイ!

ここでグルメ番組の始まり~と言いたいところですが・・我が家はいたってシンプル。定番のおかずと言えば、きんぴら、切り干し大根、ひじきの煮物です。

一つの例として、きんぴら。ごぼう1本自分の好きな太さ(なるべく細いせん切りのほうが調理時間が短くて済む)で、必ず切ったはしから水にさらし10分程度。それをザルにあげ水を切り、鍋に少し多めの油を熱しゆっくり炒めます。よくレシピでは醤油で味付けですが、我が家は塩、コショウ、唐辛子です。ちなみに油もゴマ油。それから仕上げにいりごまも。ひと手間かけて炒り直すと風味バツグン!これにホカホカご飯と具たくさんの汁ものがあればもう最高です!!

繊維が多い野菜を摂ることで便通がよくなり、身体の中身が健康になる。健康になればやる気、元気が出て、ひいては心も!?

皆さんも何かオススメありませんか?
以上我が家でした~(^0^)/

//motto-to//

2011年3月15日火曜日

コラムVol.150 【春はもうすぐ】

もうすぐ春ですね。
まだ寒い日もあり、
雪が降ったりもしましたが、
春が刻一刻と近づいています。

そして、この時期は、
と~ってもツライ、
花粉症の季節です。(涙)(;∇;)

今年は、花粉の量が多いと聞いていましたが、
薬を飲んでいても、喉や目のかゆみが本当にヒドイです。

マスクに点眼薬、点鼻薬を使っているのに…。

花粉症の症状は風邪と同じように、
くしゃみ、鼻水、体がだるくなる、
眠気が強くなる、等々あります。

この症状が5月のゴールデンウィークまで続くと思うと、
ハァ…と、思わずため息です。

ただ一点、昨年とは違って、
耳の中が、あまりかゆくなりません。

いつもは、まず耳の中がかゆくなるのですが、
長距離自転車通勤で寒いため、
耳あてを常につけているので、
今年はかゆくならずに済んでいる様です。

寒い中、毎日一生懸命、自転車通勤したのが、
少し報われた気がしました。(笑)

途中、長い坂道があるのですが、
上る時は、顔を上げて自転車をこぐ様にしています。

理由は、下向きだと、坂が延々と続いているかの様で、
なかなか上りきらない、と感じられるからです。

“まだ坂の途中だ”
“あぁ、まだ坂の途中だ”
という具合に…。

でも、顔を上げて、前を向いて、
道端の木や電信柱を目標に定めて、
“よし。まずはあそこの木まで頑張ろう!”

目標の木を通りすぎたら
“よし!クリア!次はあの電信柱”
次は、
次は、
と近い目標物を決めていきます。

この時、遠くの目標物に決めてしまうと、
“まだだぁ”p(´⌒`q)
という気持ちが強くなってしまうので、
《目標物は近くに定める》がポイントです。

そこで、ふと思いました。
はて?何かに似ているなぁ。
そうだ!
人生に似ているんだ!

一生懸命やっているのに、なかなか前に進まない。
進んでいないような気がしてしまう。

目標はあるのに、
なかなか達成出来るところまで辿り着けない。

この先、どうしたら良いのか、
どう進んでいったら良いのか、
分からなくなってしまう。

そんな時は、
今日1日で出来る事、
する事をまず考えます。

今日はこれが出来た!
まだ、あれもこれも
やらなければならないけれど、
まず1つは出来た!

少しずつ少しずつ。
小さな目標を定めて、
“よし!出来た!
一歩前進!”

そうやって少しずつでも進んで行けたら、
きっと未来はひらけてくる。
そう信じて。

焦って、周りも自分も見えなくなったら、
思いきって顔を上げて、前を向いて、
自分の周りの景色を見てみよう。

自分を励ましてくれる何かが、
誰かが、
近くに必ずあるはず、
いるはず
だから。

苦しい時も、顔を上げて、進んで行きたい!

例え、花粉の時期でも、乗り越えられる!(笑)

そう思いながら、
何とかツライことを乗り越えようと、
日々がんばっております。

ツライ時も何か楽しみがあれば、
気持ちが紛れ、心が晴れますよね。(*^-')b

桜の開花を楽しみにしつつ、
春の訪れを感じつつ。

†Blue Luna†

2011年3月2日水曜日

コラムVol.149 【日々思うこと ~新しい自分との出会いを目指して~】

2011年最初のmiviのコラムです。
毎回思うのですが、新年に入ったら、または新年度や新学期に入ったら、
新しいことをしたくなるのが人間の性というものではないでしょうか。
皆さん、何か新しいことを始めていますか?
私は、昨年の終わりから健康に関する情報収集を始めました。
今年は、ますます健康マニアになりそうな予感がします。
しかし、今年は、特に資格取得のための勉強の毎日となるでしょう。
今、思えば、現役学生を卒業してからの方が、かなり勉強しています。
学生時代の時に真面目に勉強したら良かったと悔やんでいても、あの時はそういう必要性を
感じさせる環境にありませんでした。
そう、環境が人を変えさせるもの、と思っています。
人間は必要があると感じた時が本当の発揮力を出せるものだと思っています。
それが学生時代の時に、そのような出来事を起こさせるような環境であれば良かったのにと思わずにはいられません。
だから、その分、社会人になってからの方が勉強というありがたみをいっそう
感じさせるものだと思っています。
新年や新年度、新学期のような時期の切り目に何か新しいことをしてみませんか。
新しいことをすることで気分転換し、自分にとってもまわりにとっても良い影響を与えるものだと
思っています。
ささいなことでも良いので、新しい自分を発見してみませんか。
興味から始めたことでも、いつかは本格的な趣味に変わっているかもしれませんよ。
Let's try!!

//mivi//

2011年2月27日日曜日

コラムVol.148 【胸キュン最前線】

ちょっと過ぎましたが、14日はバレンタインデーでしたね。
みなさん胸キュンな日を過ごしましたか?
さてさて当日は平日。
子ども達はもちろん登校。
つまり胸キュン最前線。
朝からもぉ!男の子達の浮き足だってること浮き足だってること。
フワフワフワフワ。
心ここにあらず。
女の子の方が、ずっと落ち着いてる!
肝が座ってます。
放課後の相談室。
お楽しみの男の子達から事情徴収(笑)

私『どうだった?チョコ貰った?♪』

Aくん『貰った♪オレ11個♪』

11個?!
たっ大量。
しかしながら上には上が…

Bくん『オレは14個~♪』

マジッ?!
どう考えても義理だろ!
…とは、勿論言いませんでしたけど。
と、フワフワした2人をよそに、妙に落ち着いてるCくん。
中々のイケメンです。
Cくん『オレは…』

女子の人気も上々。
これは記録更新か?!

Cくん『…0個』

…( ̄□ ̄;)!!

Aくん&Bくん『マジでーっ!』

いやぁ~あやしい…
単純なAくん&Bくんは鼻高々に『お返し大変なんだよな~毎年金欠』『オレはお返し全部親が買ってくれるよ』などと言いながら、ルンルン去って行きました。

残ったCくん。
その余裕はもしかして!

私『Cくん…もしかして好きな子いる?』

Cくん『うんAちゃん』

私『もしかして…』

Cくん『うん。両想い』

私『という事は…』

Cくんニヤリ。

Cくん『うん。これから会う約束してるから、チョコ貰うんじゃん?』

違ーう!!
数貰って喜んでる男どもとは!!
本命に貰える余裕だった訳ですな。
やはりモテる男は、一枚も二枚も上手でした。
甘酸っぱい恋心、大人になるほど、時間に埋もれて薄れてくけど。
初恋の思い出は、特別だったりしますよね。
子ども達の人生に一度の初恋を、身近で見れるなんて幸せ。
今年も一人秘かにキュンキュンしてる相談員なのでした♪
//yuchi//

2011年2月17日木曜日

コラムVol.147 【ココロと身体の病気の関係】

幸い、私はまだココロの病にかかったことはありません。
いや、ありそうになっても前向きにそして楽観的に物事を
プラスに捉える性分がココロの病から防いでいるんだと
思います。でも、このココロの病って侮ってはなりませぬ。
ストレスでココロにポッカリと穴が空いてしまうような
状況ってイメージできますか?
それがかなり深刻であったり長続きする場合、気付いたら
胃にまで穴が空いていたり、胃潰瘍になってしまったり、
自律神経失調症になってしまったり、躁鬱病を発してしまう
ケースもありますね。後者はココロの病が深刻化したときに
よく聞く病状ですが、前者の身体が被る病も起きうるという
ことはよく理解しておく必要があります。
よほどの精神的ストレスでココロの病気にかからないと
胃に穴が空くことはないかもしれませんが、ストレスの
尺度は人によって様々なので一概には言えませんよね。
そんなためにも日頃から前向きに物事を捉えられるよう
訓練したり、あまりクヨクヨしないように心がけることが
重要になってきます。(血液型でいういとA型が要注意
ですね。そんな私も神経質で有名なA型ですが…)
ココロのストレスで胃に穴が空くと書きましたが、訓練
次第ではココロが健康であれば胃も身体全体も健康で
今まで以上にやる気がみなぎることだって十分にあります。
ココロと身体って密接に関わっていることをよく認識し、
精神的にも体力的にもあまり負荷をかけすぎない程度で
頑張れるように心がけましょうね!

/hero/

2011年2月16日水曜日

コラムVol.146 【思考する人間 -2-】

ケンカをして負けたり、白熱した議論で相手に打ち負かされたり、恋人に振られてしまい
ショックを受けてしまったとき、あなたなら、どういう行動を取るのだろうか。
● 自分自身を一番分かってくれる人に会ったり、電話したりして、愚痴をこぼす。
● バーに行って、お酒を飲み、とにかく忘れる。
● いつまでもくよくよしていては仕方がない、と気持ちを新たにする。
● 自分が良かったという風に合理化する。
というような行動は一例ではありますが、多くの方がとられる行動ではないだろうか。
そして、これらの行動をとった結果、あなた自身で「自分は成長した!」と思えただろうか。
自分自身が悪い、弱い、だめだったという部分を認めて、受け入れるのは、それが事実で
あったとしても、本当に難しいことかもしれない。
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ライフイベント(生活するうえで起こる出来事)によっては、ストレスの尺度が変わってくるが、
「配偶者の死」を筆頭に、いろいろ並んでいる。この中には離婚や、恋人と別れるなどが入っている。
ストレスが連続的に起こってしまうと、精神状態が停滞し、うつ状態になってしまうケースもある。
それを回避する能力も人間なら備えている。
それが、愚痴を言ったり、お酒を飲んだり、気持ちを切り替えたりするということなのかもしれないが、
一過性のものに過ぎません。精神的に弱い人であれば、この傾向は強いだろう。
なにかショッキングな出来事があった人の性格がまるくなったり、優しくなったとか、そういう話も
聴いたことがあるかもしれない。それが、「乗り越えた」ということを意味するかもしれない。
では、「乗り越える」ためにはどうすればいいのだろうか。
これは先ほども述べたように、自分自身のありのままを認め、受け入れるしかない。
世間体やプライドや見栄の一切を払拭し、本質部分をしっかり見据えること。
そうすると、気分がふわっとやわらぎ、「ああ、そうだったんだな」と思える。
それまでの道のりは苦しいかもしれない。
でも、いったんその感じを覚えてしまうと、次から自分を受け入れるまでの苦しい道のりが前と比べて、苦しくない。
そう言うものでは無かろうか。
それは「痛み」や「苦しみ」を知ることと同じで、自分のも他人のも不思議と分かるようになる。
それが分かって初めて、人間的に成長したと実感されるのではなろうか。
これは、もちろん「考える」ことの出来る人間だからこそ、味わえる感覚でもあり、特権なのである。

2011年1月30日日曜日

コラムVol.145 【思考する人間】

家族や恋人や友人とケンカしたとき。
失恋したとき。
仕事で失敗して、上司に怒られたとき。
離婚したとき。
仕事をクビになったとき。

あまり良くないことばかりを並べているが、人間として生きていれば、
誰もが経験する可能性の高いものばかりだ。
これは、「思考」できる人間だからこそ、避けては通れない道なのだ。
しかし、「思考」するということは"諸刃の剣"でもある。
「思考」をしすぎることで、自分を追いつめ、苦しめてしまうこともあるのだ。
動物は、本能のままに生きているため、「思考」しないため、必要以上に行動に移さない。
お腹が空いたら、獲物を探しとらえ、そして食べる。
しかし、お腹がいっぱいになったら、ムダな殺生はしない。
「お腹がいっぱいになったライオンの夫婦が、
たとえ、目の前に美味しそうな肉をぶら下げられても食べようとしなかった」という実験が行われた。
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「こういうことは絶対やってはいけない」というような、
理性で本能をコントロールできるのも人間が「思考」するからこそ、できることなのだ。
そう言う意味では、人間の行動をコントロールするための法律は、
人間の「思考」の賜物なのかもしれない。
話を元に戻しますが、最初にかいたようなあまり良くないことが、あなた自身に起こったら、
あなたはどのように行動するのだろうか。
実は、どう行動するかで、あなたの人間的成長の度合いが決まってしまうのだ。
(続きは次回に!)
//ash//

2011年1月12日水曜日

コラムVol.144 【新年の抱負】

新年になりました。
皆様、今年もよろしくお願い致します。
新年にあたって、恥ずかしながら今年の抱負を宣言します!
それは…
字を綺麗に書くことです!
中学生の時から字が汚い、と親に散々言われ、
気にしてコンプレックスになりながらも、
なかなか修正出来ず、今に至ります。
何度も直したいと思うことはあり、
試みてみるのですが、
途中で諦めて挫折してしまうのです。
大人になって社会人になって、
仕事でも文字を書くことはあったのですが、
恥ずかしいとは思いながらも、そのままになっていました。
なぜ今年になって、改めて決意したかというと、
年齢的にいい加減にイイ大人になりながら、
字が汚いのを何とかしなきゃ!という思いと、
本屋さんで偶然目にした
書き込み式の字を練習する本がきっかけになりました。
毎年、密かに自分の中で目標を決めているのですが、
今年は自分に良い意味でプレッシャーにするために、
聴心会のコラムの場を御借りして、宣言しちゃいます!
簡単に上手くなるわけではないですが、
下手でも下手なりに、心を込めて丁寧に書いていけば、
必ず向上すると信じて、読んだ相手に
心地よく思ってもらえる字を目指して、がんばります!
途中でくじけそうになっても、
自分自身を成長させていきたい気持ちで、
モチベーションを持ち続け、あきらめずに続けていきます。
小さくても何か目標を抱いていれば、
人生で困難な事にぶち当たった時、
崩れ落ちそうになった時、
どうしようもなく孤独を感じてたまらなくなった時にも、
自分自身が支えになって、
立ち上がって歩き出せる気がするのです。
ちょっと大きな話になってしまいましたが、
何も大きな目標じゃなくて、
小さな、ほんの些細な事でも構わないと思うのです。
皆さんも新年にあたり、今年の目標や抱負、決意はありますか?
何か一つでもあれば、
心豊かに、
人生がより豊かになる気がするのです。
ぜひ何か目標を掲げ、チャレンジしてみませんか?

†Blue Luna†