私は1年ぶりに高校の友に久しぶりメールしてみた。
すると不思議なことに
以前職場で一緒だった人からもメールをもらった。
何気ない文がそこにはあった。
“こんにちは、ご無沙汰です。お元気にしていますか?
よい天気になりましたね。またいつかお茶しましょうね。
風邪ひかないようお互い気をつけましょうね。”
久しぶりにメールを頂き、嬉しくなってついご自宅にゆっくり電話するからと
返事をしたら、自宅の電話が調子が悪いから・・とメールだけで終わった。
あとで分かったことだが、ご主人があと余命数ヶ月ということで、自宅療養中と。
彼女は勤め傍ら介護をしているということだった。
高校の友も私は気になりつつも連絡を取っていなかった。
彼女も夫の母親を介護しつつ、自営の手助けをしていた。
認知症が年々重くなり、彼女にひどい言葉を投げつけてくるとのこと。
救いは夫が協力して一緒に介護をしてくれていたことだ。
その母親もいま特養に入り、時間が少し持てるようになったとの
ことだった。
いまさらながら一人ひとりそれぞれの人生、ドラマが繰り広げられている。
それが日常という水面上には見えないでいるのだ。
かく言う私もつい3年前は九州で、まさか関東に住み、次男である夫の母親を
看取るとは・・・。
ーもし、あのときー
夫の母親との同居を決断しなっかったら・・多分今頃後悔していたにちがいない。
ちょっとさかのぼって、今の夫と結婚しなくて別の人と結婚していれば、違った
人生。でも今の子どもたちとはめぐり逢えていないのである。
そうおもうと、人は知らずしていくつもの分かれ道を選んで進んでいっているんじゃない
か。道に迷って立ち止まったり、相談したり・・。でも最後には自分で答えを出して
いるんじゃないかと。
余談だが、近日中に友だちと会うようにしている。
お互いの健康を確認しあいながら、友好を温めたいと思っている。
//motto-to//
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