2013年2月2日土曜日

コラムVol.183


2013年始動から1ヶ月。誰しもが今年は良い年となるよう願ってやまないが、
ここ最近スポーツ界での暴力問題を思った時、ちょうど一ヶ月前の箱根駅伝を思い出していた。
チームワーク。自分との戦い。力の限界への挑戦。全力でぶつかっていくランナーの顔つき。
この全部が魅力である。

2日往路。山登り最後の5区であまりの風と体感温度の喪失で体調を崩し、2つの大学が
棄権となってしまった。万全を期して臨んだだろうが、何が起きるか分からない。
日体大が26年ぶりの往路優勝。そして3日復路、30年ぶりの総合優勝を成し遂げた。
昨年は19位と今までになく最下位となり、初めて監督が選手の前で涙したという。
私がその場を見ていたわけではないが、その時選手全員涙し、監督は一緒の気持ちで
涙したのではと推察している。そこに暴力は存在しただろうか・・。
選手の思い、監督の思いがひとつになって目標を定め、今までにない力が湧き上がったと
確信している。

カウンセラーとして一番大切なことに傾聴、共感ということがある。
相手がどういう人か先入観を持たず対面し、話したくなるまで待ちつづける根気がいる。
そして一言、二言の言葉の端にその人の気持ちを見出していく。
その言葉のキャッチボールが段々スムーズになっていく過程(プロセス)が大事である。
会話をしているうちに自分が直面している問題は何かが分かってくるのは不思議である。

自分もやる気を起こすのに一苦労するが、ましてや他人を奮起させるのは並大抵のことではないだろう。人それぞれに個々の対応は難しいかもしれない。しかし指導者となったからには、自覚し努力し続けること(つきあい上手、下手は二の次)が大切と感じている。

今年も現地箱根5区に赴き応援し、感動で鳥肌が立ったと埼玉のろう夫婦。年賀状で去年も佐賀での105キロウォーキング大会やマラソンを完走できたと報告の福岡のろう夫婦。
私たちにこのような感動を与えてくれるスポーツ。2013年も期待している。

平成25年2月2日
//motto-to//

2012年7月30日月曜日

コラムVol.182 【 気持ちの余裕はどこから?無理をしている自分がいませんか?】


気持ちの余裕はどこから?無理をしている自分がいませんか?

4月30日。ここ1週間の痛ましい交通事故には目を覆いたくなる。
原因は居眠りがほとんどであるが、1件は癲癇の持病をもつ人の運転であった。
未成年の無免許も忘れてはならない。
突然に事故の加害者になり、被害者になってそのショックたるや想像を絶するものがある。被害者は受身。いつふりかかるかは予測不能。しかし加害者には必ず原因がある。
連日の勤務で睡眠不足、勤務マニュアルの不徹底(不景気による人員削減のため無理なシフトになっていた可能性もある)、また自信過剰、あるいは断りきれない性格、いずれにしてもちょっとした油断が命取りになってしまったに違いない。

7月1日。沖縄の梅雨が明けた。ここ関東地域ももうすぐ梅雨明けとなるころだろう。
今年はぜひとも鎌倉とまでは行けないが、紫陽花の花を見たいものと思っていたのに
実現することもなく、ただただ忙しいと自分に余裕が持てないままだった。


このように3ヶ月の間隔が空き、私の環境が一変してしまったことが良くわかる。
夫が毎日朝4,5時起きで出勤、弁当持参。
息子一応漫画家、朝6時まで起きていて、昼夜逆転の生活。一日2食。
私といえば仕事が不定期に入り、夜はついつい居眠りをして深夜1時になることも。

こんなことでは心に余裕を持てるわけがない。
なんという生活のリズムになったのかと振り返ってみてつくづく感じている。
ストレスも溜まっているのか、身体にも変化が現れている。
でもまあ、更年期特有の症状ではあるが・・・。

7月12日。今までにない大雨の被害があちらこちらで起こっている。
毎日の二ユースでいい話題は少なく事件性のあることばかりが先行しているが、少なくとも自分の余裕のなさが原因で、事故につながるようなことは避けたいものである。

まだまだ梅雨の終わりのあの晴れ渡った青空とはいかないようだ。


//motto-to//

2012年3月5日月曜日

コラムVol.181 【節(せつ、ふし)ということから・・・】

早いもので3月3日、ひな祭り。女の子の無事成長や幸せを願う大事な日です。
これは五節の中の3月にあたり遠い昔の中国から由来したようです。
1年の季節の変わり目1月7日(七草)、3月3日(ひな祭り)、
5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽、菊まつり)の節句が
あるのは日本ではもう当たり前になっています。

それと同じく、考え方にも自然に日本人の心のなかにあるんじゃないか。
言い方は違いますが、けじめをつけるとか、一仕事終えて次へとか、
人生の朝(少年期)、昼(成年期)、夜(老年期)・・・など。
私の中に確かに自然と溶け込んでいることを意識しています。
ここで「節」を調べてみると
・あることが行われるとき、ころ、おり。その節は失礼しました。
・自分が正しいと思うことを守り通すこと。みさお。節を曲げる。
・詩歌、文章、楽曲などの一区切り
・スポーツなどで、試合期間の一区切り     ―携帯電話の内蔵辞書より―

ころ、おりということで、はたと「タイミング」と連想してしまいました。

あの時、誤っておけばよかった。
あの時、どうして自分の意見を言えなかったんだろう・・・
あの時、お礼言えばこんな気まずい思いをしなくいても、、、
あの時、いい顔して安請け合いをしてしまった。

また反対に
あの時あの人と出会ったことでいま幸せ
あの出会いがなければこの仕事に就いてなかった。
あの瞬間の判断で、命が助かった。          
あのことが私の進む道を決めた           

このように次から次へと場面が連想されます。

私は今まで何回となく失敗を重ねてきましたが、でもそれが自分の選び取りであると
はっきりわかっています。
その延長線上に今の自分がいるわけです。

3月11日、去年の震災から1年が経ちます。
今まで経験がなかったことにであったらどう対処していいか、判断は難しいです。
今大事なことはなにか?今がその時か?と考える余裕があるか?
その余裕、間が大事なのではないか?
それを一瞬に判断できる能力を身に着けるにはどうしたらよいか・・・

1年目の節目(ふしめ)に、ひな祭りから連想した私でした。



//motto-to//

2012年1月27日金曜日

コラムVol.180 【言語の違いや壁を痛感する】

先週、仕事でアメリカはラスベガスに出張していました。
CESという世界最大の家電市があり、私の勤務先も
今年は大々的に展示したものでした。
この展示会に参加するのは初めてでかなりやる気満々で
行った私ですが、そこにはテレビでしか見たことのない
格好をした異国人がいたり、全く言葉の通じない相手が
いたり、今までの前提知識などが通用しないケースが
度々あり、苦しかったのと同時に面白い体験をしたなぁと
思います。私自身、アメリカ生活は長かったので英語での
会話には問題はないのですが、しかし、ここまでグローバルに
人が集まる場に巡り合える機会はそう多くはなかったので、
言語の違いや壁を改めて感じ取ることができました。

更に言うと、文化の違いもあるのでしょうが、コミュニケーションを
する際の間の使い方、そして、相手との物理的な距離感が
国よって違うということを改めて知ることができたのも
貴重な経験だったと思います。北欧の方は、米国以上に
距離が近く、あまり距離感に抵抗を感じない私でさえ、
今回はちょっと「えっ?」と感じる場面がありました。

当然ではありますが、私達は常に様々な人と接しています。
そして、皆それぞれ違います。外国人の場合は顕著ですが、
日本人の間であっても当然皆違います。
まずは、皆違うということをシッカリと受け止めて、
そして、接するようにしないと、相手との違いのギャップに
後で気がついて、少し気後れしてしまうとそれだけで、
コミュニケーションにもギャップが生まれてしまうように
私は思います。そうしないようにも最初から皆違うんだと
認識しておくことで、コミュニケーションを上手くコントロール
することができるんじゃないでしょうか。

今回の海外出張ではコミュニケーションの方法について
久しぶりに考えさせられました。

/hero/

2012年1月11日水曜日

コラムVol.179 【新年のコラム】

新年あけましておめでとうございます。

去年の暮れは多忙にかまけ、コラムをさぼりがちになってしまいました。
実際、コラムを書くことはエネルギーがいるもので、ネタがあって書こう
と思っても、なかなかかけないこともありますが、今年はがんばってコラム
を書いていこうと思います。ことしもよろしくおねがいいたします。

「便利なものをあえて不便にする」

最近の日本のITやものづくりの技術は目を見張るところが多い。それも
日常の中にすっかりとけ込んでいる。

例えば、

同じ家の中にいながら、パソコンからプリンタへデータをLANなどを使わずに
送って、印刷したり、タッチパネルで電話をかけることができたりする。

技術の進歩はとてもすばらしく、人々が便利に感じることで、生活そのものが
豊かになっていると実感される方も多いことでしょう。

だが、私は便利になりつつあることを喜びつつも、人間としての能力の一つが
失われることを危惧している。

それは、「考えて、動く」という能力である。

ちょっと昔は電話をかけるだけでも、手書きで作成した電話帳の番号を捜し、
番号をダイヤルしなければならないという過程があったが、今はほんの2,3回
ほどタッチするだけで電話がかけられるという時代になってしまった。

人間の脳は使えば使うほど、活性化するというのは周知の通りで、便利になれば
なるほど使う機会は失われるだろう。そうなると、人間の脳は「退化」の二文字を
たどる事になりかねないだろう、と危惧している。

これに関連して、頭に浮かんだことがある。「気を遣う(使う)」だ。
気を遣うことで、心が活性化し、人間性が高くなるのではないかということだ。

気を遣うのは確かに疲れるかもしれない。
だが、「人が気持ちよく使えるように、やりやすいように」自然に行動することは
人間としては失ってはならないことだと思う。

人間が「考えて、動く」ことを止めてしまうと、脳が退化するのと同じように、
「気を遣う」ことを止めてしまうと、心が退化して(=すさんで)しまうのではないか。

気を遣うと、確かにこっちが損をしたような気がするが、それは気のせいだ。
確実にあなたの心は成長し、進歩していることを私が保証する。

今年は、去年のいろいろな教訓をもとに、人間らしさとは何かをさらに考えていきたい
と強く感じている。

これからもどうぞ、私たちの活動を応援していただきたく、よろしくおねがいいたします。

ash

2012年1月1日日曜日

新年のご挨拶

謹んで新年のお祝辞を申し上げます。

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。

本年も皆様にとって、良き年でありますよう、心からお祈り申し上げます。

本年も引き続き聴心会を宜しくお願い申し上げます。


                  2012年1月吉日
                  日本聴覚障害者心理協会
                     会長 秋元美智子

2011年12月18日日曜日

コラムVol.178 【今年を振り返る】

12月になりましたね。
テレビでも街角でも、クリスマスに向けてにぎやかにふるまってきましたね。
クリスマスが終われば、年末に向けての準備で慌ただしい日々が続き、そのまま新年を迎えることになります。
状況によっては、休まる日がない方もいらっしゃるかもしれません。
また、12月は、一年を振り返る、という月でもあります。

毎年同じことを世間では、やっていますが、
「皆さん、今年はどんな年でしたでしょうか。」

この一年は、早かったでしょうか。長かったでしょうか。
また、いろいろと考えさせられる年になったのでしょうか。

想いはそれぞれ抱えていることでしょう。


振り返る作業は、自分を見つめ直すという意味で大変重要になります。
良いことや悪いことなど、ひっくるめて自己評価してみませんか。
来年へ向けてどのように行うべきか、道が見えてくることもありますから。

自分自身を整理するためには、自分なりの今年のトップニュース10を作ってみませんか。
ささいなことでも、それは思い出として残るし、反省として使える材料になるかもしれません。

来年もみんなが笑顔でハッピーな日々を過ごせることを祈っております。
今年のmiviのコラムは今日でおしまいです。
また、来年お会いしましょう。
良いお年をお迎え下さい。

//mivi//