2011年7月3日日曜日

コラムVol.160 【心配り】

私は日本語が好きです。
日本人に生まれてよかったなぁ、と思う理由の一つが言葉です。

おおまかに同じ意味を表す言葉も、
微妙な表現の違いで、単語が変わってきます。

尊敬語、丁寧語、謙譲語、といった相手を敬う表現の仕方も
複雑で多種多様です。

難しいけど、美しい、
そう感じます。

こんなに言葉の表現が複雑で、多種多様になったのは、
やはり日本独特の文化が歴史的な背景にあったからだと思います。

相手のことを、思いやる気持ちを持って、
言葉を選び、どれだけ自分の心を伝えるか。

時には厳しい言葉も、相手を思うからこそ必要だと判断し、
伝えるけれども、そこも日本文化独特で、
敢えて遠まわしの言い方で伝えたりします。

それも、心遣いの一つだと私は思います。

震災後、まだ1ヶ月位の時だったと思います。
偶然テレビで、被災地で手紙を配り続ける郵便屋さんの姿を見ました。
地震や津波で建物や家が壊れ、住所の目印も無いような場所でも
その郵便屋さんは、はがきや手紙を配り続けているのです。

その人自身も被災者なのに、配り続ける。
その理由を、こうおっしゃっていました。

“葉書や手紙を書いた人たちの気持ちを届けたい。
 元気でいるのか、無事を確かめたい、心配している、 
 その気持ちを届けたい。元気付けたい。

 たとえ宛名の人に直接届けられなくても、
 その人の知っている人に渡せるかもしれない。

 どうか生きていて欲しい、そう想う気持ちを込めながら配っている”

涙を浮かべながら、懸命にお話されていました。

私はその時、働きながら偶然目にした映像でしたが
思わず見入ってしまい、心を打たれました。

その郵便屋さんが配達していたのは、
物だけではなく、
まさしく心を配っていたのです。

また、別の機会に見たテレビの映像で、
運送会社の社員が宅急便を届けるのを見たのですが、
“真心(まごころ)”を込めて届ける事を大切にしていました。

受け取った荷物を持った相手が転ばないように、気を配りながらも笑顔。
時には相手の話したい気持ちを受け止めて、長話につきあうなどの心配り。

とても感動しました。
日本人が古来から大切にしてきた心を配ることの大切さ。
改めて考えさせられました。

私も、さりげなく、心が配れる人になりたいなぁ、そう思っています。
そして、自分の子どもも、心が配れるような人に成長して欲しいなぁ、
そう願っています。

1人1人が、少しずつでも良いので、心遣いを意識して、
心を配っていけたら、もっと優しい世の中になるのになぁ、
そうなれたら良いのになぁ。

優しさを欲しがる人は多いけど、優しさをあげようとすることを
なかなかしないのはなぜだろう。

優しさ、ってきっと伝播する。
もっと自分にも周りの人にも優しくしなきゃなぁ。
簡単そうで結構難しい。

だからこそ、やってみませんか?
“こころ 配り”

†Blue Luna†

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