2012年1月11日水曜日

コラムVol.179 【新年のコラム】

新年あけましておめでとうございます。

去年の暮れは多忙にかまけ、コラムをさぼりがちになってしまいました。
実際、コラムを書くことはエネルギーがいるもので、ネタがあって書こう
と思っても、なかなかかけないこともありますが、今年はがんばってコラム
を書いていこうと思います。ことしもよろしくおねがいいたします。

「便利なものをあえて不便にする」

最近の日本のITやものづくりの技術は目を見張るところが多い。それも
日常の中にすっかりとけ込んでいる。

例えば、

同じ家の中にいながら、パソコンからプリンタへデータをLANなどを使わずに
送って、印刷したり、タッチパネルで電話をかけることができたりする。

技術の進歩はとてもすばらしく、人々が便利に感じることで、生活そのものが
豊かになっていると実感される方も多いことでしょう。

だが、私は便利になりつつあることを喜びつつも、人間としての能力の一つが
失われることを危惧している。

それは、「考えて、動く」という能力である。

ちょっと昔は電話をかけるだけでも、手書きで作成した電話帳の番号を捜し、
番号をダイヤルしなければならないという過程があったが、今はほんの2,3回
ほどタッチするだけで電話がかけられるという時代になってしまった。

人間の脳は使えば使うほど、活性化するというのは周知の通りで、便利になれば
なるほど使う機会は失われるだろう。そうなると、人間の脳は「退化」の二文字を
たどる事になりかねないだろう、と危惧している。

これに関連して、頭に浮かんだことがある。「気を遣う(使う)」だ。
気を遣うことで、心が活性化し、人間性が高くなるのではないかということだ。

気を遣うのは確かに疲れるかもしれない。
だが、「人が気持ちよく使えるように、やりやすいように」自然に行動することは
人間としては失ってはならないことだと思う。

人間が「考えて、動く」ことを止めてしまうと、脳が退化するのと同じように、
「気を遣う」ことを止めてしまうと、心が退化して(=すさんで)しまうのではないか。

気を遣うと、確かにこっちが損をしたような気がするが、それは気のせいだ。
確実にあなたの心は成長し、進歩していることを私が保証する。

今年は、去年のいろいろな教訓をもとに、人間らしさとは何かをさらに考えていきたい
と強く感じている。

これからもどうぞ、私たちの活動を応援していただきたく、よろしくおねがいいたします。

ash

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