2011年8月6日土曜日

コラムVol.166  【コミュニケーション能力を身につけていくということ】 

ドラゴンクエストや、ファイナルファンタジーといったロールプレイング
ゲームをはじめ、いろいろなゲームが衰えを見せずに流行っている。

それにはまり、のめり込むようにゲームをする子どもたちも爆発的に増加
してきていることは、レストランや喫茶店に座っている子どもたちを見れ
ば一目瞭然だ。しかも、電車の中でも道路と至るところで、子どもたちは
手にゲーム機を持って、手や頭をせわしなく動かしている。

あるレストランで食事をしていたときの話だが、隣のテーブルに親子が座
っていたが、子どもは店の中に入ってからも、ゲーム機の画面から目を離
さない。

母親は何を食べるか聞いても子どもは画面から目を離さず、「○○ちょう
だい」とだけ言って、ゲームに再び熱中し始めた。

母親はというと、そのまま携帯を取り出して、いろいろやりはじめたでは
ないか。こうした状況がご飯が来るまでの間ずっと続いていた。食べ終わ
った後も会話がまったくない状態が続いていた。

不思議なほどに、親子の会話がまったくと言っていいほどないのだ。しか
もそれが一組だけではない。多いのだ。いったいなぜだろうか。

・子どもにゲームをやらせておけば、自分のやりたいことが出来る。
・ゲームをやっている子どもが楽しそうで、そのままにしときたい。
・子どもを叱ることが怖い、難しい。

といったような理由も考えられるだろうけど、親子ではやっぱり目と目を合
わせるコミュニケーションが必要だ。

それが出来なくなってしまうと、他人と意見をぶつけたり、分かち合ったり
する能力が育たなくなり、社会性を身につける事が難しくなる。

その他にも心配することがいくつか出てくる。バーチャル世界と現実世界と
の区別が付きにくくなる可能性が出るのだ。

そのようなゲームがなかったころの子どもたちはというと、そとに出かけ自
然とふれあったり、身体と身体をぶつけ合ったり、汗や泥まみれになって・
・・といかにも健康的な遊びをやっていたことが多い。

かくいう私も弟や近所の子どもたちと一緒に小川にいってザリガニをとった
り、網をもって蝉やカブトムシをとりにいったり、縄跳びで遊んだり、かく
れんぼや鬼ごっこをやったものだ。

生身の人間同士の遊びなので、当然ケンカもあった。

一緒に遊んでいた子どもか、近くで見ていた大人が仲裁に入る。最後はお互
いに謝る。そして握手をして仲直りする。この経験は社会にでてからもかな
りといって良いほど役に立つものだと信じている。これが真のコミュニケー
ションではないか、とさえ思う。

そういう環境がない、とか、時間が足りないという方もいらっしゃるだろう。
でもどのようなケースであれ、親の都合でしかない。子どもたちは親の都合
の中で生きていくようなものなのだから。

なかなかコミュニケーションが取れない状態であっても、出来る限りのコミ
ュニケーションをとろうと努力する親の背中を子どもはしっかり見て分かっ
ているし、伝わっているはずだ。

「子どもだから、どうせ分からないだろう」という目論見は捨て、一人の人
間として扱うように話をしようとすれば、それに応じてくれるはずだ。

私個人として、これまでに何人もの子どもたちとカウンセリングなどで接
してきたが、大人よりも感受性が良く、洞察力や観察力においては大人より
も優れており、甘く見ては失敗するだろう。

子どもの潜在能力を侮るなかれ。

ash

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