先週、仕事でアメリカはラスベガスに出張していました。
CESという世界最大の家電市があり、私の勤務先も
今年は大々的に展示したものでした。
この展示会に参加するのは初めてでかなりやる気満々で
行った私ですが、そこにはテレビでしか見たことのない
格好をした異国人がいたり、全く言葉の通じない相手が
いたり、今までの前提知識などが通用しないケースが
度々あり、苦しかったのと同時に面白い体験をしたなぁと
思います。私自身、アメリカ生活は長かったので英語での
会話には問題はないのですが、しかし、ここまでグローバルに
人が集まる場に巡り合える機会はそう多くはなかったので、
言語の違いや壁を改めて感じ取ることができました。
更に言うと、文化の違いもあるのでしょうが、コミュニケーションを
する際の間の使い方、そして、相手との物理的な距離感が
国よって違うということを改めて知ることができたのも
貴重な経験だったと思います。北欧の方は、米国以上に
距離が近く、あまり距離感に抵抗を感じない私でさえ、
今回はちょっと「えっ?」と感じる場面がありました。
当然ではありますが、私達は常に様々な人と接しています。
そして、皆それぞれ違います。外国人の場合は顕著ですが、
日本人の間であっても当然皆違います。
まずは、皆違うということをシッカリと受け止めて、
そして、接するようにしないと、相手との違いのギャップに
後で気がついて、少し気後れしてしまうとそれだけで、
コミュニケーションにもギャップが生まれてしまうように
私は思います。そうしないようにも最初から皆違うんだと
認識しておくことで、コミュニケーションを上手くコントロール
することができるんじゃないでしょうか。
今回の海外出張ではコミュニケーションの方法について
久しぶりに考えさせられました。
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聴覚障害者と聴覚障害者を取り巻く方々を対象とする心理カウンセラーをはじめ、心的支援のスペシャリストを中心としたメンバーたちで綴るブログです。1週間に1回程度の更新となりますが、どうぞ、末永くお読み頂ければ幸いです。
2012年1月27日金曜日
2012年1月11日水曜日
コラムVol.179 【新年のコラム】
新年あけましておめでとうございます。
去年の暮れは多忙にかまけ、コラムをさぼりがちになってしまいました。
実際、コラムを書くことはエネルギーがいるもので、ネタがあって書こう
と思っても、なかなかかけないこともありますが、今年はがんばってコラム
を書いていこうと思います。ことしもよろしくおねがいいたします。
「便利なものをあえて不便にする」
最近の日本のITやものづくりの技術は目を見張るところが多い。それも
日常の中にすっかりとけ込んでいる。
例えば、
同じ家の中にいながら、パソコンからプリンタへデータをLANなどを使わずに
送って、印刷したり、タッチパネルで電話をかけることができたりする。
技術の進歩はとてもすばらしく、人々が便利に感じることで、生活そのものが
豊かになっていると実感される方も多いことでしょう。
だが、私は便利になりつつあることを喜びつつも、人間としての能力の一つが
失われることを危惧している。
それは、「考えて、動く」という能力である。
ちょっと昔は電話をかけるだけでも、手書きで作成した電話帳の番号を捜し、
番号をダイヤルしなければならないという過程があったが、今はほんの2,3回
ほどタッチするだけで電話がかけられるという時代になってしまった。
人間の脳は使えば使うほど、活性化するというのは周知の通りで、便利になれば
なるほど使う機会は失われるだろう。そうなると、人間の脳は「退化」の二文字を
たどる事になりかねないだろう、と危惧している。
これに関連して、頭に浮かんだことがある。「気を遣う(使う)」だ。
気を遣うことで、心が活性化し、人間性が高くなるのではないかということだ。
気を遣うのは確かに疲れるかもしれない。
だが、「人が気持ちよく使えるように、やりやすいように」自然に行動することは
人間としては失ってはならないことだと思う。
人間が「考えて、動く」ことを止めてしまうと、脳が退化するのと同じように、
「気を遣う」ことを止めてしまうと、心が退化して(=すさんで)しまうのではないか。
気を遣うと、確かにこっちが損をしたような気がするが、それは気のせいだ。
確実にあなたの心は成長し、進歩していることを私が保証する。
今年は、去年のいろいろな教訓をもとに、人間らしさとは何かをさらに考えていきたい
と強く感じている。
これからもどうぞ、私たちの活動を応援していただきたく、よろしくおねがいいたします。
ash
去年の暮れは多忙にかまけ、コラムをさぼりがちになってしまいました。
実際、コラムを書くことはエネルギーがいるもので、ネタがあって書こう
と思っても、なかなかかけないこともありますが、今年はがんばってコラム
を書いていこうと思います。ことしもよろしくおねがいいたします。
「便利なものをあえて不便にする」
最近の日本のITやものづくりの技術は目を見張るところが多い。それも
日常の中にすっかりとけ込んでいる。
例えば、
同じ家の中にいながら、パソコンからプリンタへデータをLANなどを使わずに
送って、印刷したり、タッチパネルで電話をかけることができたりする。
技術の進歩はとてもすばらしく、人々が便利に感じることで、生活そのものが
豊かになっていると実感される方も多いことでしょう。
だが、私は便利になりつつあることを喜びつつも、人間としての能力の一つが
失われることを危惧している。
それは、「考えて、動く」という能力である。
ちょっと昔は電話をかけるだけでも、手書きで作成した電話帳の番号を捜し、
番号をダイヤルしなければならないという過程があったが、今はほんの2,3回
ほどタッチするだけで電話がかけられるという時代になってしまった。
人間の脳は使えば使うほど、活性化するというのは周知の通りで、便利になれば
なるほど使う機会は失われるだろう。そうなると、人間の脳は「退化」の二文字を
たどる事になりかねないだろう、と危惧している。
これに関連して、頭に浮かんだことがある。「気を遣う(使う)」だ。
気を遣うことで、心が活性化し、人間性が高くなるのではないかということだ。
気を遣うのは確かに疲れるかもしれない。
だが、「人が気持ちよく使えるように、やりやすいように」自然に行動することは
人間としては失ってはならないことだと思う。
人間が「考えて、動く」ことを止めてしまうと、脳が退化するのと同じように、
「気を遣う」ことを止めてしまうと、心が退化して(=すさんで)しまうのではないか。
気を遣うと、確かにこっちが損をしたような気がするが、それは気のせいだ。
確実にあなたの心は成長し、進歩していることを私が保証する。
今年は、去年のいろいろな教訓をもとに、人間らしさとは何かをさらに考えていきたい
と強く感じている。
これからもどうぞ、私たちの活動を応援していただきたく、よろしくおねがいいたします。
ash
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