2011年10月24日月曜日

コラムVol.174 【ー友だちー】

私は1年ぶりに高校の友に久しぶりメールしてみた。

すると不思議なことに

以前職場で一緒だった人からもメールをもらった。

何気ない文がそこにはあった。

 “こんにちは、ご無沙汰です。お元気にしていますか?

よい天気になりましたね。またいつかお茶しましょうね。

風邪ひかないようお互い気をつけましょうね。” 

久しぶりにメールを頂き、嬉しくなってついご自宅にゆっくり電話するからと

返事をしたら、自宅の電話が調子が悪いから・・とメールだけで終わった。

あとで分かったことだが、ご主人があと余命数ヶ月ということで、自宅療養中と。

彼女は勤め傍ら介護をしているということだった。



高校の友も私は気になりつつも連絡を取っていなかった。

彼女も夫の母親を介護しつつ、自営の手助けをしていた。

認知症が年々重くなり、彼女にひどい言葉を投げつけてくるとのこと。

救いは夫が協力して一緒に介護をしてくれていたことだ。

その母親もいま特養に入り、時間が少し持てるようになったとの

ことだった。

 
いまさらながら一人ひとりそれぞれの人生、ドラマが繰り広げられている。 

それが日常という水面上には見えないでいるのだ。


かく言う私もつい3年前は九州で、まさか関東に住み、次男である夫の母親を

看取るとは・・・。


ーもし、あのときー

夫の母親との同居を決断しなっかったら・・多分今頃後悔していたにちがいない。
 
ちょっとさかのぼって、今の夫と結婚しなくて別の人と結婚していれば、違った

人生。でも今の子どもたちとはめぐり逢えていないのである。


そうおもうと、人は知らずしていくつもの分かれ道を選んで進んでいっているんじゃない

か。道に迷って立ち止まったり、相談したり・・。でも最後には自分で答えを出して

いるんじゃないかと。



余談だが、近日中に友だちと会うようにしている。

お互いの健康を確認しあいながら、友好を温めたいと思っている。
  

//motto-to//

2011年10月14日金曜日

コラムVol.173【悩み、苦しみ、悲しみを抱えながら生きている全ての人へ】

2011年3月11日の大震災後、
台風や大雨などでも
大変な被害がありました。

それ以外にも、
生きることがつらく、
厳しい状況におかれている人、
普通に生活を送れない状態にある人が、
気持ちに余裕を持つ事は、
なかなか出来ません。

そういう状態にある人

あらゆる悲しみや苦しみで
うずくまり立ち上がれずにいる状態

それでも立ち上がり
一歩ずつ
一歩ずつ
前に進んで行く

希望が見出だせなくても
生きていかなければならない

世の中に存在している事実、
生きている事実。

想いを込めて…

~悩み、苦しみ、悲しみを抱えながら生きている全ての人へ~

よく ここまで 生きていてくれたね

ありがとう

生きていてくれて ありがとう

生きているだけでも 苦しい毎日を
何とか生きて
生きて
生きて

今があるよね

今も
これからも

まだまだ どうなるか わからない

不安で どうしたら良いか
何をしたら良いか
わからなくなるね

自分が 生きている意味は 何だろう

何の為に 生きているんだろう

何で こんなに 苦しい思いをしながら
生きなければならないんだろう

それは…

自分が 答えを見つけるまで
続いていく 問いなのだろう

暗い闇の中を 歩いているみたいに
先が見えなくて 不安になるけれど

ひとりじゃない
独りじゃない

孤独を感じて
悲しくなっても

誰かがいるよ

あなたは
決して 独りじゃないよ

あなたを 必要としている人が いるよ

あなたの 命の 灯火(ともしび)が
たとえ 小さくなったとしても
輝いているよ

生きていてください

どうか生きていてください

希望は きっと あるから

希望に
向かって

     †Blue Luna†

2011年10月12日水曜日

コラムVol.172 【友達】

小さい頃に裏の山や野原、田んぼで一緒に鬼ごっこをしたり、ちゃんばらごっこやままごとをした友達。
小学校まで手をつないで通って、帰りに家にきてカードゲームをした友達。
部活動で一緒に汗と涙を流したり、サークルでわいわいがやがややった友達。
会社の仕事が終わって、一緒に呑みに行って、上司のグチを言ったり、自慢を言い合う友達(同僚)。

成長と共に友達も変わっていくと思います。
引っ越しで離ればなれになると、連絡も疎通になってしまう人もいれば、まめに連絡を取り合って、長い間友達
関係を維持している方もいます。

確かに環境が変われば、自分の中での友達への関わり方も、友達を選ぶ基準もすっかりかわってしまう可能性も
あります。環境も一つのきっかけとしては欠かせない要素になります。環境以外にも、必要以上に友達を作ろう
としないで、限られた人と交友関係を持つ性格をもつ人もいます。

私がここで言いたいのは、広い交友関係を持っているからといって良いという訳ではないのです。

本当に心からお互いに尊敬し合うことができて、本気でぶつかる事が出来る友達は沢山いらないと思うし、作る
ことは出来ないと思います。どんなに頑張っても10人も作ることは出来ないでしょう。

そのようなかけがえのない友達を親友、心の友と表現する方もいますが、そのような関係を持つためには、自分
自身を相手に心のうちをさらけ出す必要があると考えています。

でも、心をさらけ出すなんて、怖い。と思う方も意外と沢山います。私もかつてそうだったのだから。

しかし、心をさらけ出すことは逆に言えば、相手も自分にさらけ出してくれる可能性があり、お互いにさらけ出
すことが出来るようになれば、その関係がとても心地よいと感じるようになり、一種の安堵感を得ることが出来
ます。

いろいろな紆余曲折を経て、最終的にお互いに信頼できる親友が出来れば、人生の楽しみがまた一つ増えるかも
しれません。

どうか、友達を作ることをおそれずに、自然体で接してみてください。

あなたが自分で気づかない魅力を誰かが気づけば、いつの間にか友達になっていた、というようなことは良くあ
る話なのです。

あなたの人生を豊かにできるかどうかは、家族はもちろんですが、友達の存在も欠かせないのです。