2011年4月7日木曜日

コラムVol.153 【日々思うこと ~行為の意味~】

平成23年3月11日に発生いたしました東北地方太平洋沖地震につきましては、
被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。


さて、震災後、ACジャパンのCMに以下の文が流れているのはご存知だろうか。

「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
  ―宮澤章二「行為の意味」より

初めて流れたときは、感銘を受けたような、心にじーんとくるものがあった。
さすがに、今は最初ほど、じーんとは来なくなった。
それは、きっと頻繁に流すからなのではないだろうか。
流し過ぎといっても過言ではない。

詩人・宮澤章二の作品「行為の意味」の一節の影響により、
現在Amazonの文学・評論ベストセラーランキングで1位にランクインしており、
急激に注目を集めているらしい。


この、一節から、私が思ったことを述べよう。

確かに、思いやりや心遣いの気持ちは誰でも持っているものである。

それを行動に移すことはなかなか簡単なようでとても難しいこと。

しかし、そのような気持ちは、思ってるだけではなく

「行為」になってこそ、初めて意味があるということに気づいてもらいたい。

そう、宮澤章二さんのメッセージにはそのような意味が込められているのではないだろうか。




今度、本を読んでみよう。さぁ、わたしも、あなたも。



日常生活において、「思いやり」や「心遣い」を起こさせるようなエピソードは、

ないようで、実はあふれているのかもしれない。


草食系になっている現代の社会に

まずは、「思いやり」や「心遣い」を抱くことから始めてみてはどうだろうか。

そこから、実践につなげるようなヒントを自分から得られるかもしれないし、

環境などによって起こさせ、そこから得られるかもしれない。



「思いやり」や「心遣い」も思うだけではなく、行動に移してこそ、

人は、成長できるものであると信じている。

たとえ、相手にとって、いらぬお世話だとしても、きっと自分にとっての経験値になるのだから。

突き放した相手も実は後悔しているのかもしれないし、もしかしたら、何か事情があるのかもしれない。

突き放しても、突き放されたとしても、人は、常に感謝する心を抱いてほしい。


//mivi//

コラムVol.152 【心根を深く】

この度の東北地方太平洋沖地震により被災された皆様、心よりお見舞い申し上げます。


桜が花をつけると、

春がきた喜びを感じると同時に、

何か胸を衝く切なさを感じます。

日本人にとって春は、

『出会いと別れ』が心に染みこんでいる季節なんでしょうね。

この間、私の小学校でも卒業式がありました。

初々しく凛々しく卒業証書を受け取る子ども達の姿。

重なる歌声。

涙が溢れて止まりませんでした。

辛かったことも悲しかったことも、

嬉しかったことも楽しかったことも、

全部心の栄養にして、

心の根を強く深く張って欲しいです。

根が枯れなければ、

例え失敗しても、くじけそうになっても

何度でも花を咲かせ、

何度でも実を結ぶ事ができると

私は信じています。

みなさんも3月、

送り送られ、さまざまな別れがあったでしょうか。

『さよなら』は悲しいけれど、

寂しいと思えるのは

幸せなことです。

それは、別れがたいほど大切な人と

出会えた証拠なんですから。

『さよなら』は悲しいけれど、

『さよなら』することは

大切なことです。

別れはまた、新しい出会いにつながっていくのですから。

今月から私は、7年間いた相談室を巣立ち、

新しい職場からのスタート!

心9割は不安ですが、

残り一割の勇気を振り絞って、

笑顔満開!新たな子ども達との出会いを迎えたいです。

みなさんも、みなさんにしか生きられない人生を

どうか力強く咲き誇らせてください!


yuchico