2011年9月26日月曜日

コラムVol.171 【今を生きる人へ】

これは、あるドラマの中で印象に残ったセリフです。

正直に生きないと、いつまでも自分に問い詰めることになる。
「もし、あのとき」


巷では、人は、後悔だらけの人生を過ごすといわれています。
もちろん、幸せだらけの人生を過ごすこともありますが、
なぜか、記憶に強烈に残るのは
幸せより悔いの方だったりしませんか。


人は、いくつもある選択肢から自分にとって最適な方法をとったつもりでも、
納得いかない結果、自分に嘘をついたままや犠牲などが生じると、
必ず、葛藤が起こります。
それが、
「もし、あのとき・・・」
そう、他の選択をしたときの可能性を確かめたくなることがあるのではないでしょうか。

どんな過程がありましても、自分が自分らしく生きるためには、
きちんと自問自答しながら正直に生きることが最短の距離ではないでしょうか。

ただし、人生に不正解はありません。
たとえ、選んだ道が誤っていたとしても、
その道を選ぶまでの過程を、自分にとっての最良な方法で決定した上、それらを受け入れたからこそ、
その道があるのだと思います。
それぞれの道には必ず、自分の好ましい方向へ導ける見えないレールがあります。
時には、進むべき道または進んだ道の中には、何かを責めたり何かを犠牲にしたり
することもあるかもしれません。

あなたは、
あのときのことを今でも、自分に問い詰めてしまっていることはありませんか。
もちろん、ある方やない方、わからない方など、さまざまな方がいらっしゃると思います。

ですから、「もし、あのとき」をなるべく駆使しないよう、
そうならないよう、今を大事にして、自分が本当に求めていることは何なのか、
飾りではない、正直なありのままの自分でいられるよう、
こころの準備や整理をし始めてみてはいかがでしょうか。
その今でさえも、1秒後には過去になってしまいますから。

//mivi//

2011年9月22日木曜日

コラムVol.170 【古希のお祝い】

なかなか取れていなかった夏季休暇をようやく
先週取得できると思っていたら、業務の都合で
延期となり、やっと取れ始めたのが幸い(?)
にも先週金曜からでした。つまり、連休と重なって
取得することができているので、今も長い休暇中です。
(とはいえ、自宅にいながら仕事はしていますが…)

仕事のことはいいとして、先週末、父の古希のお祝いを
しました。恥ずかしながら古希(こき)ということを知らなかった
私ですが、一言でいうと「70歳を祝う」ということですね。

3兄弟とその家族皆が(滅多に会えない中)ようやく
久しぶりに会えたわけですが、やっぱり家族っていいです
よね。特にコミュニケーションをとらなくても何となく
通じ合っているところがいいです。物事を論理的に伝える
だとか、研修で学んで業務でも活かすよう色々と実行しては
いますが、あのように神経を使って会話する必要が家族とは
一切必要がありません。そんな家族のようなコミュニケーションが
とれるっていいなぁとあらためて感じました。

皆さんはそのようなコミュニケーションがとれていますか?
何か初心に戻ったというか、原点に戻ったような気がちょっとして、
いつも無理していた自分を改めて見直すことができた感じが
しました。

「家族愛」って、いいですよねー。
久しく帰省されていない方も、時間をとってちょっと顔を
だしてみませんか?もしくは、電話で「元気?」の一言だけでも
いいと思います。これは、家族だけでなく、久しく会話していない
友人にも同じことが言えます。メールではなく、電話で会話したり、
ハガキ1枚送ってみてはいかがでしょうか?相手も嬉しいでしょうが
連絡を取って相手と会話した自分自身もスッキリした気分になる
ことでしょう。

/hero

2011年9月12日月曜日

コラムVol.169 【コミュニケーションの根っこには食べ物がある】

小学校が夏休みとなり、私も同時に長期休暇となりました。
日ごろ疎かになっている家事に集中と計画していたのが、
つい気が緩んで、怠け癖はおいそれとは直らないようです。


やれ娘のつわりで、おさんどんに静岡へ、毎日仕事で貢献出来なかった
市通訳派遣の予定を入れたりと、何かと忙しい日々。
8月は半ばより車で九州福岡へ帰る計画を息子と計画し、9月2日に
戻ってくるというハードスケジュール。それが今頃疲れが出始め、
歳を感じています。


前置きが長くなりました。実は表題はその九州の大分で聞いた講演での
内容の一部分です。前回も“食”に関心があると言っていた私。
彼がこのことを言うや、グッと私は共感したのです。


誰が、どのように、どんな場所で、どんなものを食べるか?
差別の根幹には食物も大きな要素になっている。
例えばイスラム教、ヒンドゥー教、大乗仏教、小乗仏教で食する肉が違う。
文明や宗教によって異なり・・・と聴くにつけ、おおいにうなづけました。
 
現代はグローバル化が進み、日本においても世界の様々な食文化が混じっています。
とても恵まれた環境にあるといっても過言ではありません。
そのような状況下で家庭の食事(食卓)はどうなっているでしょうか?
コミュニケーションの最小単位と言える家庭が揺らぐとどうなるか?


最近小学校の昇降口で泣いている低学年の子供。日替わりメニューのように
体操着、上履き、給食エプロンなど忘れてくる子が恥ずかしくて教室へ入れない。
しっかり家でお母さんやお父さんと話が出来ていない、また親も子が学校でどんな
様子なのか気にならない。たぶん親も小さい時に、そういう気遣いをされなかった
のかもしれません。
ご飯を食べるその時が言葉かけ(ふれあい)の大事なひと時であって欲しい。



「母は自分にしっかり愛情を注いでくれた。今までこの歳になるまで大病を
しなかったのは、母が美味しい食事や自然の営みを教えてくれたおかげ」と
姜尚中(カンサンジュン)氏。講演を聴いてますますファンになった私です。

//motto-to//

2011年9月8日木曜日

コラムVol.168  【コミュニケーションの難しさ】 

健聴者の私が最近感じるのはコミュニケーションの難しさです。
それは手話のコミュニケーションではなく、海外と一緒に仕事を
している相手とのコミュニケーション(電話とメール)が大変
厳しく意思疎通がなかなか図れないことです。
自分でいうのも何ですが、海外在住歴通算14年にもなるので
英語でのコミュニケーションや国際感覚は通常の方と比べると
長けていると思っています。しかし、今回のビジネス案件は、
日本、ドイツ、イギリス、中国、そしてアメリカと4カ国を
同時に相手しなくてはなりません。時差だけでなく、考え方の
違いもあり、、、数週間前に1週間かけて電話会議で説明した
はずの内容が完全には理解されておらず、あらためて電話会議で
説明する羽目になったりして、開発スケジュールに遅延が起きそうな
勢いでした。

そこで感じたのは、手話でも電話やメールでも同じだと思いますが、
「伝わったと思う」で終わらせないことです。必ず、合意内容だったり
説明した内容を改めて纏めて、理解してもらえたはずの内容を再度
確認することまで徹底しないと、誤解というものは必ず発生します。
そして、できれば、再確認は、文化の差や時差に左右されないよう
メールなど、文字を使用することです。そうすることで、誤解は
最小限に抑えられます。

振り返って考えてみると、今回の私の場合も、「伝わったと思う」と
ある意味一方的に決め付けていたわけであり、それを再確認するこを
怠っていたとも考えられます。相手方にも落ち度はきっとあるかも
しれませんが、まずは、自分自身を振り返り、意思疎通が明確になる
ようにしていくことが重要だということを改めて認識しました。

是非、皆さんもご参考まで。

/hero